小学5年生のとき、学芸会で「善の心、悪の心」をマダムは演じることになりました。
クラスのほとんどが出演する舞台に、マダムは立ちました。
ステージの右と左に、善と悪の心が2人立ちます。
その中央で、マダムはせりふの無いパントタイム、ほぼ一人芝居に近い。
教室にあった大きな花瓶を落として割ってしまうところから、ドラマは始まります。
実際の花瓶はなく、マダムの演技だけでそれをイメージさせます。
あたりを見回して、誰もいないことを確かめると、すぐさま拾い上げて、花瓶をくっつけ、ごまかそうという悪の心が働きます。
いやいや、正直に割ってしまったことを告げようという善の心が、告げるのです。
右と左の善と悪の言葉に主人公の心は揺れ動きます。
こうして、芝居が終わって、会場から万雷の拍手と喝采を浴びました。
やり遂げた達成感と爽快感は格別のものでした。
この舞台はマダムのその後に、さざなみのような影響を与えました。
★中京女子大硬式野球部への批判に見る人間心理
http://blog.livedoor.jp/kyoiku2/archives/50097728.html
小津安二郎監督らに代表される日本映画は、健全だけれど時代にズレのある家族ドラマから、大島渚監督の「青春残酷物語」に見られるヌーヴェルヴァーグに取って代っていました。
とっくに父親の権威など無いのに、「お父様」と呼ぶ娘がどこにいるの?
大島渚監督は、大女優・小山明子さんを妻に持ち、テレビの討論番組でも、難しいことをしゃべっていましたが、マダムの青春期における理想像でした。
しかし、挫折ーーー。
http://ameblo.jp/rakuyen/entry-10063885217.html
マダムは24歳の時に角膜移植を受けました。
病室では、いたって健康でも、テレビも新聞も雑誌も、見るもの読むもの、全てダメ。
毎日が退屈でヒマでした。
誰もいない夜、静寂な病院の片隅で、マダムは一人、「善の心、悪の心」を演じました。
誰も見ていない中で、拍手も喝采も浴びることなく、芝居を終えました。
誰の為でもなく、誰かを楽しませるのでもなく、自分が楽しむだけに演じたのでした。
http://blog.livedoor.jp/rakuyen/archives/50311647.html
x x
小学5年生のとき、夜遅くまで一人残り、数ヶ月間にわたり、先生にマンツーマンでご指導いただき、練習したことで、ずっーと身に染み付いていました。台詞の記憶は薄らいでいましたが・・
x x
入院中、病室では、一日中ラジオを聴いて、飽きてくると、短波放送に切り替えていました。
すると、英語の番組を拾い、つたない英語力で聴いていると、アメリカ向けのモスクワ放送でした。
今となれば、懐かしい米ソ冷戦、アメリカはボイス・オブ・アメリカで、お互いに政治宣伝のメディア戦略合戦の時代でした。
★大衆操作と宣伝メディア
http://blog.livedoor.jp/seiji77/archives/50155001.html
モスクワ放送がレポートを募集しており、「モスクワ放送 ソ連」の宛名(英語)で応募したら届いたようです。
数ヵ月後、自宅に絵葉書数枚が参加賞として郵送されてきました。
なお、公安調査庁さま、マダムは諜報活動はしていません、です。