貿易赤字や黒字の議論は無意味だ | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

国境を越えた商品の売り買いを貿易と呼びます。そして、ある国の住民が外国から輸入した商品の購入代金の総額、つまり輸入総額、がその国から外国の人が購入した商品の代金の総額、つまり輸出総額、より大きい場合は、その国は貿易赤字を出していると表現します。また逆に、ある国の輸入総額が輸出総額より小さい場合はその国は貿易黒字を出しているといいます。

ある国が貿易赤字を出しているかあるいは貿易黒字を出しているかということが、政治家の間やマスメディアで議論されることがよくあります。今回は、この貿易赤字と黒字の意味について考えてみます。

人と人が物の交換に自発的に合意した場合には、両者が得をしているはずです。そうでないならば、両者は交換に応じているはずがありません。ある物をある人にある価格で売ろうと決めた人は、売った方が売らないよりも得になると判断したから売ったはずです。また、その物をその人からその価格で買うことに決めた人は、買った方が買わないよりも得になると判断したはずです。もちろん売り手はより高い価格で売りたいでしょうし、買い手はより安い価格で買いたいでしょう。それでも両者が交換に合意したのは、売り手にしても買い手にしても、他の売り手や買い手の提示価格よりも、今、合意に達した取引の条件が良いと判断したからです。

自発的な交換が交換に携わる両者の得になっているという事実は、交換に従事する双方が小さな島の住人であろうが海を隔てて住んでいようが国境を跨って住んでいようが変わることはありません。だから、国境を越えて行われている数多くの取引は、一つ一つを見れば、全て取引の当事者双方にとって得になっています。

つまり、ある国が輸入した物の合計代金の方が輸出した物やサービスの合計代金よりも多かったからといって、つまりその国が貿易赤字を経験しているからといって、その国の人たちが国境を越える商品の取引で損をしているという訳では決してありません。

また逆に、ある国の輸入総額が輸出総額より小さくてその国が貿易黒字を経験しているとしても、貿易が黒字の場合にだけ、その国の人たちが国際的な物の取引で得をするのでは決してありません。

一つの国の中における一つの島の輸入総額や輸出総額を較べることが無意味なように、ある国の輸入総額や輸出総額、または両者の差を見ることは無意味です。

政治家はこの無意味な値を問題にしますが、そもそも国民の個人個人は、自分で得になると判断した時だけ、物の売り買いに従事します。個人個人は何をいくらで買っていくらで売ったりすることが自分の得になるかを、政治家や役人によっていちいち指図される必要は全くありません。それ以前に、人が何をいくらで売ろうが何をいくらで買おうがその人の自由です。商取引の自由があってこそ、人は自分の求める物を購入して豊かになることが出来るのです。

今まで検討した通り、一つ一つを見れば双方が得をしている取引の総額を、国単位で足し算をすることは無意味なのですが、この無意味な貿易赤字や黒字という言葉が独り歩きをしているのが現実です。赤字や黒字という言葉を日常使われる意味の類推で用いて、貿易赤字を出すことは良くないことだ、また貿易黒字を出すことは良いことだという「誤解」に基づいた議論をよく耳にします。あまりにも貿易赤字や黒字が話題にのぼることが多いので、ここで「国単位での貿易赤字や黒字の意味」を検討してみましょう。

貿易赤字や黒字が政治家の口にのぼるのは世界的な現象です。特に過去何十年間に渡って貿易赤字を経験している米国では、貿易赤字は解消しなければならない大きな問題だというのが政治家の一般的な主張になっています。ところが、実は貿易赤字は米国民にとって決して悪いことではありません。


米国が貿易赤字を経験しているということは、まず第一に、米国に住む人たちが、外国に売るよりも合計で多額になる品々を買っているということです。最近は中華人民共和国からの衣類や家電製品が多量に米国に輸入されています。これは、中国の人たちが汗水流して働いた労働の成果である衣類や家電製品を、米国に住む人たちが同様の苦労をすることなく享受出来るということなので、アメリカ合衆国という国単位で考えても望ましいことのはずです。


第二に、輸入によって、米国で生産するよりも安い衣類や家電製品を消費できる米国の消費者は、収入に余裕が出来ます。そして、その余裕を目新しい電子機器、医薬品、高等教育の消費や貯蓄に回すことが出来ます。確かに、米国内の衣類や家電製品業界では倒産が起こり失業を生み出しますが、失業者は新たに成長してきている産業に転職する機会があります。衰退する産業から成長している産業に、人材や原材料、機械、建物などの資本が移動して米国の産業構造が変化します。海外から安い製品を購入することは、産業構造の転換を促進し、人々をより速やかに豊かにする効果があります。

人間が豊かになろうとする限り、商品が安くなり、新製品が登場して競争が起り、その結果、産業構造に変化が生じるのは、商取引が一つの島の中に限られていようが、一国内に限られていようが、また国境を越えた取引が行われている状態であろうが同じことです。人間は、常に豊かになる道を模索している動物です。この人間の本性が変わらない限り、他の人々が豊かになれるように品物を安くしたり、新製品を提供することで自分も豊かになろうとする人が必ず存在します。従って、産業構造が変わることを止めるのは不可能です。


第三に、貿易の赤字分に相当する米国人の支払い金額は、必ず米国に戻ってきて米国内で使われます。もし、米国人が輸入品の代金として支払ったドル札を外国人が箪笥預金にして溜め込んでいるならば、米国人はただの紙切れであるドル札を輸出して、代わりに衣類や家電製品や自動車を受け取っていることになります。もっとも、今では米国からの支払いは紙切れでさえなくて銀行口座への電子信号になっています。要は、紙切れにしろ電子信号にしろ、米国からの支払いが米国に戻ってくることがなければ、米国人にとってはこれほど安上がりな輸出品はありません。

ところが実際には、米国人のドルを受け取った外国人は、たとえそのドルを使って米国の物を輸入しなくとも、そのドルを米国内で必ず使います。なぜなら、米ドルは、米国の法律によって米国内で有効だと決められた通貨だからです。非米国人同士の取引にドルが使われるのも、米国内でのドルの有効性が保障されているからです。

米国にとっては赤字に相当する外国人が稼いだドルは、具体的には、米国の国債や企業の株などを購入するというかたちで米国内で投資されます。国債を売った米国政府は、政府支出を増やします。株を売って資金を得た企業は、設備投資をしたり人を雇います。要するに、米国の貿易赤字額は、米国に戻ってきて米国内での物やサービスの購入に使われます。この時点で購入された物やサービスは米国外に輸出として出てゆかないので、輸出総額と輸入総額の計算には最早含まれません。貿易の収支の計算上では赤字となる金額は結局米国内で使われているので、貿易赤字は米国の経済活動を妨げているわけでは決してありません。

今まで、米国を例にとって貿易赤字に害がないことを説明しました。日本は米国と違って貿易黒字を経験しています。日本に住む人たちは、国境を越えての通商に従事することで、自分たちが安く作ることが出来るものを一番高い値段で外国で売り、また海外からは自分たちが必要とするものを一番安く購入することで得をしています。つまり、貿易に従事することで得をしていますが、日本が貿易黒字を経験しているときに限って日本に住む人が得をしている訳ではありません。貿易黒字に相当するドルを稼いだ日本人はそれを米国内での投資に使っていますが、それは他の使い道よりもそうすることが自分の得になるからそうしているのです。

つまり、ある国が貿易赤字、または黒字を経験しているからといって、その国に住む人たちが貿易によって国全体として得をしたり損をしたりしているわけでは決してないのです。


以前のコラムも合わせてご覧下さい。
隣国商品ボイコットは安全保障の害になる
経済成長のからくり - 農産物輸入自由化を例に取ると
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