市場の原理と捕虜収容所(1):経済効率性とは何か | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

市場の原理という言葉を時折聞きますが、これはどういう意味でしょうか。経済学者に言わせると「市場に資源の分配を任せると経済効率性(economic efficiency)を達成することができる」という原理だそうですが、資源を効率的に分配するというのはどういうことか抽象的過ぎてよく分かりません。

今回からシリーズで軍隊や捕虜収容所を題材に市場の原理にまつわる問題を考えてみましょう。
初回は市場の原理や経済効率性とは何かという疑問に答えます。

市場の原理とは「人々が自分が持っているものを自由に他の人と交換できるなら、人々が持っている色々な物は、その交換を通じて全員が一番満足するように行き渡ってゆく」という経験と観察に基づく事実を指しています。そして全員が一番満足できるように物が分配された時に経済効率性が達成されたと表現します。

市場の原理の「市場」とはロンドンの株式市場や蚤の市のような具体的な場所を指すのではなく、人々が物を交換する社会環境を指します。今やどこにいてもインターネットを通じて世界中を相手に簡単に物を交換できるので、「場」には物理的地理的な場所という意味はありません。市場という言葉を使う時は「人々が何を交換するのか」また「何を交換してはいけないのか」というような交換の内容や交換の条件を問題にします。例えば自動車市場というのは自動車が売り買いされている場です。また、自由市場というのは「人々が自分の持ち物を自由に交換出来る場」です。


全員が一番満足出来る、つまり「経済効率性が達成された」状態とはどういう状態でしょうか。
軍隊の中の兵舎や捕虜収容所のような閉鎖された環境での人間の行動を考えると、全員が一番満足する状態がどういう状態なのか理解しやすくなります。

私の祖父二人のうち一人は、太平洋戦争の末期に兵隊に取られ、終戦まで日本国内の兵舎で暮らしました。その祖父に聞いた話によると、軍隊では銃や軍服などの身の回り品とともに煙草、酒、羊羹など色々なものが、量は限られているのですが定期的に支給されたそうです。軍隊には酒保という売店があって、銘々が好きなものを買っていたということを読んだことがありますが、爺さんの軍隊話には酒保は出てきませんでした。帝国陸軍も戦争末期には、売店を開けておくだけの物資が調達できなかったのかもしれません。

一人の兵隊が受け取る物の種類や量は均一です。体が大きくても小さくても、甘党であろうがなかろうが、もらえる羊羹の量は同じです。爺さんの話によれば、兵隊は支給品を交換し合ったそうです。酒好きだった爺さんは下戸の兵隊に羊羹をあげる代わりに酒をもらうといった具合です。兵隊が次々と交換を重ねてゆくうちに支給品は落ち着くところに落ち着いてゆきます。最終的に煙草を吸ったり酒を飲んだり羊羹を食う兵隊は、それぞれ煙草、酒、羊羹を最も望んだはずなので、兵舎の中で兵隊が自由に支給品を交換できる限り、最終的に支給品が行き渡った状態が「全員が一番満足する状態」です。つまり、軍隊が各員一律に物品の支給したときには達成できていなかった「経済効率性」が、兵隊が自由に支給品を交換できるという自由な取引の場を通じて初めて達成できたわけです。

しかし、「皆んなが一番満足した状態」というのは、決して皆が満ち足りた状態ではありません。いくら煙草や羊羹を酒に交換しても、爺さんが満ち足りるだけの酒は得られなかったに違いありません。だから、自由な交換を通じて分配できるのは、「今社会で入手可能な資源」に限られます。兵隊はもっと多くの煙草、酒、羊羹を欲しがったでしょうが、兵舎に存在しないものはしょうがありません。爺さんの兵隊仲間は、自由な交換を通じて今あるものを皆んなが一番満足するように分け合ったということになります。


では、今入手可能な資源の量を増やすためにはどうすればよいでしょうか。
実は、人が自分の身体を自由に使って作ったものを自由に交換できるなら、今既に存在する物が皆んなが一番満足できる形で分配されるだけではなく、交換できる物の総量も増えるという事実があります。つまり、自由市場は生産力を増大させるのです。
今度は捕虜収容所を例にとって、この原則をみてみましょう。

兵舎にいる兵隊は外部と隔離されていますが爺さんはたまには外出して釣りを楽しんだと語っていました。釣り糸を垂れながら上空を通過するB-29の編隊を見上げて「負けるに決もうとる戦争いつまで続けるんやろか」と嘆息したそうです。釣りだけではなく、外出時に帰宅したり買い物をすることもあったでしょう。

ところが話が兵舎でなく捕虜収容所のことになると、収容所に閉じ込められている捕虜は、生活に必要な品物は全て捕虜収容所の中で調達しなければなりません。かといって、生活必需品が充分支給されるとは限りません。会田雄次の「アーロン収容所」という本には、ビルマでイギリス軍に収容された日本兵の捕虜の間で生活必需品の生産に分業が起こり、捕虜は自分が作ったものを交換することで、身の回り品を手に入れていた様子が生き生きと描かれています。

兵隊は皆んな、兵隊に取られる前は仕立て屋だったり建具屋だったりするので、各自が手に入る材料を見繕っていろんなものを作り、それをお互いの間で交換するということが自然に起ったようです。仕立て屋だった兵隊が作った衣類を手に入れるために食料や煙草などを与えることで他の捕虜たちは仕立て屋の生産能力を引き出したわけです。捕虜を監視していた英国兵は、英軍が支給していない様々なものを捕虜たちが使っているのを見て訝しがっていたそうです。引き出された仕立て屋や建具屋の能力のおかげで、捕虜たちは支給されなかった必需品までも手に入れていたのです。それに、仕立て屋の能力は仕立て屋の「もの」です。建具屋の能力は今収容所の中に存在する貴重な資源です。捕虜たちは能力も含めた自分の「もの」を交換に参加する双方が得をする形で交換し合いました。自由な交換を通じて仕立て屋や建具屋やその他全員が一番満足するように資源を分配したのです。

会田雄次の本には書かれていませんが、仕立て屋の繁盛振りを見た他の捕虜の中には、仕立て屋の手伝いをしながら仕立ての技術を身に付けていった人がいても不思議ではありません。人々が自由に自分が作った物を交換できる状態では、新しい技能や技術も生まれてきます。

祖父の兵舎での思い出話や「アーロン収容所」の内容は、人々が自分の物を自由に人と交換できる状況なら、人々が持っている色々な物は全員が一番満足するように行き渡ってゆくだけでなく、人々が分配できる物の量も増える、という自由市場の強みが実際に働くということを示しています。

ところで、捕虜が自由に自分の作ったものを交換していると「貧富の格差」が生じてきます。例えば、仕立ての腕のある者は他の者よりも多くの物資を享受できるようになります。
次回は、引き続き捕虜収容所を題材に、貧富の格差と社会主義について考えてみます。


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