貯蓄・銀行・中央銀行(3)- 貨幣水増しの初期症状 | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

前回のコラムからほどなくして、この村が大きく変わりました。この村がある王様の領土に加えられたのですす。

まず村に王様の代官の役所が置かれました。この村の初代である現職の代官は王様の任命ですが、王様は新しい領土になった村の民意を懐柔するために、二年後には代官の選挙を導入すると約束しました。
また、村にあった倉庫屋2軒が統合されて中央銀行と名前を変えました。

この中央銀行は、王様の発布した法律によって、村の通貨を発行する唯一の機関であると定められました。つまり、粟の預り証文を発行できるのは、この中央銀行だけです。また、同じ王様の法律によれば、中央銀行は、証文と引き換える粟を、必要な時に限ってという条件で、水増ししても良いことが認められています。また、法律によって、何人たりといえども、中央銀行の証文、及び、中央銀行が発行した「粟のお金」の額面通りの受け取りを、たとえそれが水増しされていたとしても、拒否することが禁止されています。

持ち込まれた証文を、水増しした粟と交換できる中央銀行には、取り付け騒ぎはありません。持ち込まれた粟証文の額がいくら多くても、水増しの度合いを高めば済むだけだからです。取り付け騒ぎの心配から開放されるということは、中央銀行は、預けられた貯金をいくらでも貸し出すことが出来るということです。さらに、貸し出す粟は水増ししても良いので、額面の上だけでは、中央銀行に預けられている貯金は無尽蔵に増やせます。

総裁という肩書きを持つ中央銀行の責任者には、王様自らが銀行業の素養のある者数人を候補者としてまず選び、その候補者の中から代官が最終選考をして任命するという制度になっています。実は以前、別の領地の代官が、自分の娘の豪華な結婚式を、粟の水増しで浮いた「粟のお金」で賄うという事件がありました。王様はこの代官を厳しく処罰し、この事件の後、代官が私利私欲のために粟のお金の水増しをすることを防ぐために、代官と総裁を別々の職にしたのです。

代官と総裁の日給は、それぞれ粟1.5升です。つまり、倉庫屋2人が失業して村を去った後、倉庫屋に払っていた粟の支払いがそのまま代官と総裁に支払われることになったのです。農民が働いて得た粟を俸給として受け取ることになった代官と総裁は、村人たちの公僕として、村全体の福祉の向上のために全力を尽くすと約束しました。


今回のコラムでは、村の倉庫屋が中央銀行に変わって粟の水増しを出来るようになると、村の生活にどんな変化が生ずるのかみてみましょう。

中央銀行が出来ても、村の粟の生産能力は今までと同じなので、中央銀行に毎日預けられる本当の粟の量は、中央銀行が出来た時点では、今まで通り一日に17升です。
倉庫屋はクビになるまで、この貯金を使って村の色々な事業に投資を始めていました。倉庫屋が選んだ投資先は、鍬や鋤の改良やあぜ道の整備など、どれも小さな事業ですが、倉庫屋は、村人が持ち込む色々なアイデアの中から、必要な投資額や成功したときの見返り、また成功と失敗の可能性などを注意深く検討して、これらの事業を選んだのです。倉庫屋が結んだ投資契約はそのまま中央銀行に引き継がれ、今でも、同じ額面の投資が続いています。


ところで、倉庫屋を接収した中央銀行が粟の水増しをすると、村全体の貯金の「額面」が増えます。貯金の額面が増えるということは、額面で計算すれば、より多く貯金を、貸し出して投資に使うことが出来るようになるということです。

貯金が増えると、利率が下がります。
例えば、林檎が例年になく豊作で、いつもよりも多量の林檎が市場に供給されたとき、林檎の価格は下がります。その結果、消費者は、安くなった林檎をより多く購入します。
利率というのは社会に存在する貯金を借りるときの借り賃です。つまり借金をするために払う価格です。林檎の供給が増えたときに林檎の価格が下がるように、社会の貯金の供給量が増えると利率が下がり、その結果、より多額の貯金が借りられてゆきます。

実は、お金の水増しが自由に出来るということは、利率を自由に下げられるということと全く同じです。中央銀行が利率を下げると宣言すると、低くなった利率で、お金を借りに来る人が増えます。増えた貸し出しの分を、中央銀行はお金を水増しして貸せばよいだけです。

この村の社会の粟の貯金が本当に増えるためには、粟の生産力が大きくなって、同じ消費をしていても貯金する額が増えるか、あるいは、人々がドブロクを呑む量を控えるなどして、貯金に回す他に手はありません。

ところが、中央銀行が貯金の水増しをすると、額面の上では貯金が増える形になるので、額面の上での利率が下がり、借金をするための費用が安くなります。

利率が下がるということは、借金が雪だるま式に膨らんでゆく率が小さいということです。長期間に渡って多額の借金をするための費用が下がるということです。利率が下がると、借金を投資した事業が失敗したとしても、将来、返済しなければならない借金として残る金額が少なくて済むので、大きな投資のリスクが減ります。したがって、利率が下がると、この村の生産力では、今まで失敗のリスクが怖くて手が出せなかった、灌漑用水確保のための巨大ダムの建設事業などが魅力的な事業に見えてきます。

村の生産力が本当に上がって貯蓄率が上がった結果として利率が下がったのであれば、それは長い時間と大勢の労働を必要とする事業を行うにあたってのリスクが、実際にこの村では下がったということです。しかし、中央銀行の粟の水増しによる利率の低下は、実は、単にリスクが小さくなったかのように見せかけているに過ぎません。


ここでもう少し細かいことを言うと、中央銀行が出来てしばらくすると、村人が中央銀行に預ける粟の量が、倉庫屋に預けていた時代に較べると少しは増えます。それは、今までは、倉庫屋が倒産して自分の預金をなくすことを恐れていた村人が、倒産のない中央銀行の設立で「心の安らぎ」を得るからです。
これまで1日の収穫のうち、0.2升の粟は倉庫屋に預けず粟のままで手許にとっておいて、衣類や農具の購入や家屋修理などの日々の出費に当てていたのですが、倉庫屋に持ってゆかなかったもう一つの理由としては、万が一、倉庫屋が2軒とも倒産したときのために、手許に少しでも実物の粟を持っておきたいという気持ちがあったからです。
しかし、「心の安らぎ」を得た村人は、今まで箪笥預金だった粟の一部を中央銀行に預けるようになりました。預けるとその粟に利子が付くからです。

ところがこの「心の安らぎ」は、まやかしにすぎません。
ある人が「この貯金を失くせば、この冬を越せないかもしれないlという状況にあるとすると、それはその人自身の生産力が上昇しないかぎり改善されることはありません。倉庫屋に粟を預けていた時代には、村人は、自分の生産力を考慮したうえで、自分の余剰生産分を箪笥預金・危険だが高利子の倉庫屋・低利子だが安全な倉庫屋に分散して貯めていたのです。
言い方を変えれば、村の倉庫屋がどれだけの量の預金を集約できるか、また、どれだけ危険な投資に手を出せるかは、最終的には、村人一人一人の将来に対する自信と不安が決めていたということです。

王様は法律で中央銀行を設立し、村人から倉庫屋倒産の不安を取り除きました。しかし、この村人の貧しさと、貧しさから来る大規模な投資が抱えるリスクは、将来の完璧な予測が出来ない限り、たとえ王様であっても取り除くことは出来ません。倉庫屋倒産の不安を取り除いた王様は、結果的に、村人たちに自分たちの生産力では分不相応な冒険的投資をさせるように導いているのです。言い換えれば、中央銀行は、各村人が自分の預金の使われ方に対してのリスクを引き受けるか否かという個人個人の判断力を奪うのです。


さて、村に話を戻しましょう。
選挙までに何とか自慢できる自分の実績を作りたいと就任以来腐心していた代官は、ダム建設に目を付けました。ダム建設は大勢人を雇うし、雇われた人が衣類、土木器具、家屋などを購入するので、村人の収入も増えます。村人の人気を得るにはもってこいの事業です。
ところが、代官所にはダム建設に使えるお金、つまり粟、がありません。まずは人心収攬が大切だと考える王様が、代官と総裁の給料の他は、貧しいこの村から年貢一切の取り立てを許さないからです。
中央銀行には村人の貯金が毎日届けられますが、これは、代官の自由にはなりません。この貯金は鍬や鋤やあぜ道の改良などの事業に投資され続けています。代官がこの貯金を使うと、これら既存の投資事業を諦めなければならないし、第一、この投資を受けている鍛冶屋や農家が怒り出すに決まっています。

何とかして中央銀行から金を借りなければならないと思った代官は、ダム建設が今は貧しいこの村を将来どれだけ豊かにするかを中央銀行の総裁に説明するために、勤務時間の大半を使って建設見積書を作成しました。水を引いて村中を畑にした場合の粟の増収と、ダム建設を出来るだけ安上がりにしたときの費用を計算すると、工事完了が10年で済んだ場合、今よりも低い利率で中央銀行から粟を借りられるなら採算が合うと代官は見積もりました。
実際には、この村の土地は火山灰地で、ダムを作って水を引いても農業に適した土地はあまり多くありません。しかし、新任の代官はこの村のことは良く知らないし、第一、代官は農業に興味もありません。それよりも、代官は来年に迫った選挙のことで頭が一杯で、完成までに最低10年かかるダムが出来上がった後のことには気が回りません。

代官はこの見積書を持って中央銀行総裁のところに粟の水増しの談判に行ったのですが、思ったより交渉は難航しました。総裁が、むやみに粟の水増しはするなと、王様に言われていることを盾に、水増しを渋ったのです。長い交渉の末に、総裁は粟の水増しに同意しました。ダム建設に反対すると銀行の次期総裁には別の人を持ってくると代官が脅したのが効いたようです。このように、中央銀行の粟水増しは、実は、元々この代官が言い出したことだったのです。

中央銀行から水増しした粟を借り受けた代官所は、早速、隣村の建設業者を雇いダムの建設に着手しました。中央銀行からの借り入れは代官所の名義でなされているので、返済の業務には、後々選挙で選ばれる代官の後任者が当たることになっています。代官の幼な友達であるこの建設業者は、さらに建設作業員を近隣の村々から雇い入れ、ダム建設は本格化しました。

ダム建設のために村に多くの建設作業員が移り住んできたので、彼らの用を足すために、村の仕立て屋、鍛冶屋、大工にも注文が増えました。特に鍛冶屋は、建設業者からその腕を買われ、新式の土木工事用の機械の注文を受けて村で評判になりました。

ダム建設を推進したということで、この村での代官の評判はとみに高まりました。代官再選は間違いないようです。

また、中央銀行の粟の水増しによって利率が下がったので、長期間に渡って多額の借金をする費用も下がりました。そこで、村人達は今まで利率が高くて購入を諦めていた多額の費用を必要とするもの、つまり、新しい住宅など、開始から完成までに多くの人を長い間養わなければならない品物をこぞって購入し始めました。

今回、粟の利率は急に下がったのですが、こんなことは今までに村には無かったことです。村人の多くが次々に中央銀行へ行き、安くなった利率で、住宅ローンを組んで住宅を購入しました。ローンの返済は、元金に利子を加えて毎日少しずつ行うことになっていますが、中央銀行との契約では、その利子はその日その日の利率に従って変わることになっています。実はこの条件は、将来利率が上がったときに利子の支払いが増えてローンの返済が不可能になる危険があるのですが、多くの村人にとって自分の家を持つということは長年の念願であったし、この村で急に利率が上がったことなど今までに聞いたことが無い村人たちは、あまり心配することなくこの危険なローンの条件の同意したのです。

多くの人たちがこぞって住宅の購入を始めたということは、つまり、住宅の需要が急に上がったということです。したがって、村中の住宅の価格が急に上昇しました。自宅の価格が上がった村人は、自分の資産が増えたといって大喜びです。また村の大工たちも、急に買い手の増えた住宅を売ろうと、自分たちも中央銀行から粟を借りて、住宅の新築を始めました。

雇用を拡大し、仕立て屋、鍛冶屋、大工の仕事を増やし、持ち家を増やし、住宅の資産価格を高めたということで、代官だけでなく、中央銀行総裁も銀行家としての手腕が、この村だけではなく付近一帯の村々でも持てはやされるようになりました。

この村の「繁栄」は今後も続くのでしょうか。この後、村がどうなっていったかは、次回で取り上げます。。。