貯蓄・銀行・中央銀行(1)- 貯蓄と経済成長 | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

「無駄使いをしないでお金を貯めなさい」とよく言われます。これは貯金をしておくと将来何か困ったことがあった時に使えるし、また将来何か高額のものが買えるからです。
皆さん一人一人は、自分の人生設計にとっての貯金の大切さを理解していると思いますが、貯金は社会が豊かになる上でも重要な働きをしています。
今回は、この、社会的に重要な貯金の役割について考えてみましょう。

ここで、人口が100人の農民が全員、粟を生産している村を想定します。ちょっと設定に無理がありますが、ここでは粟は毎日実る作物で、畑に出ない日には粟は収穫できないことにします。

この村では農民は全員一人一日に粟1.1升生産しています。また、農民は一人一日に粟1升を食べて生活しています。農民一人は残りの0.1升を貯めておいて貯まった分を、衣類を縫ったり、農具の手入れをしたり、屋根の茅葺きを修理しする日の食事に当てています。つまり、この村の農民は、10日間畑に出て粟の生産に従事したあと、11日目に野良仕事を休んで、衣類、農具、家屋の生産に携わる、という生活をしているのです。

村全体で見ると、この村は一日に生産される食糧である粟110升のうち、100升を食糧生産の人件費、10升を衣類、農具、家屋の生産の人件費に当てている勘定になります。

もし、ある農民が、粟のドブロクを作って、粟1升の食事と粟0.1升分のドブロクを毎日楽しんでいたとすれば、この農民は、衣類、農具、住居を諦めなければなりません。それでは生活してゆけないので、ドブロクを消費するなんて贅沢は、この村の住人には許されません。

今、一人の農民が、今までよりも効率の良い鎌を発明したとします。この農民には近々子供が生まれるのですが、生まれてくる子供のためにも、なんとか粟の収量を上げられないかと考えていたところ、ふと良いアイデアを思いついたのです。

村の農民全員がこの新型の鎌を使うようになると、一人一日あたりの粟の収量が1.3升になりました。村全体として一日に粟130升生産できるようになったのです。
村人は、今まで通り一人一日1升の粟を食べていますが、一人あたり一日0.3升の余剰の粟のうち、0.1升をトブロク作り、0.2升は箪笥預金にしておいて、必要な時に引き出しては、衣類は仕立屋から、農具は鍛冶屋から購入し、家屋の修理は大工に頼むようになりました。
村全体として一日あたり、100升を食糧生産の人件費、10升をドブロク消費に回し、20升を衣類、農具、家屋生産の人件費に当てるようになったわけです。
仕立師、鍛冶屋、大工の一日一人当たりの収入が、粟1.25升だとすると、総額20升の人件費で、毎日総勢16人の仕立師、鍛冶屋、大工がこの村で働くようになったわけです。
仕立て屋、鍛冶屋、大工は、一人一日に粟一升を食べて、残りの0.25升を貯金して、自分たち自身で使う衣類、金槌、のこぎり、かんな、家屋を作る時の食事に当てているのです。

合計16人の仕立て屋、鍛冶屋、大工という専門職が生まれたこの村では、元々の農民と合わせると、100人から116人に人口が増えます。16人の仕立師、鍛冶屋、大工は、村の外から来た人も、村で育った人もいることでしょう。
新しく世に出る子供の行く末を案じた一人の親の発明によって、この村はより多くの人口を養えるようになったのです。

鎌を改良した当の農民は、畑を成人した子供に譲った後、元々好きだった鍛冶屋の仕事に専念するようになりました。
好きこそ物の上手なれと言いますが、転職後、多くの村人の農具作りに専念するようになったこの元農民は、その後も、幾つか農具の新機軸を発明します。
これらの新機軸で村の農業生産はさらに向上し、農民にとって、自分たちの食い扶持を差し引いた後の粟がさらに増えます。

農民が、粟の増収分を全部ドブロクにして消費してしまうことも可能ですが、箪笥預金にして取っておくと、今までよりも、もっと沢山の、あるいは、もっと高価な衣類、農具、家屋と後で交換出来ます。
この場合、より高価な農具というのは、交換するのにより多くの粟を必要とする農具です。
作るのにより多くの粟を必要とする農具と言うのは、鍛冶屋が粟を食べながら、製作により長い日数取り組まなければならない、より高度な農業器具のことです。
より高度な農業器具は農業生産力の更なる向上をもたらします。

だから、社会の構成員が毎年より多額の貯金をして、その貯金が研究開発や生産設備投資に使われるということは、社会の中で、研究開発や設備増設などの仕事に職業として常時携わる人を増やすということです。
この村の鍛冶屋のような専門家がいるからこそ、農器具はどんどん生産性の高いものに進歩してゆきます。
社会に貯金が無いと、研究開発や設備増設を専門とする人たちを養っていけません。

村にいる仕立て屋、鍛冶屋、大工は、農民の貯えた粟を無駄に食い潰しているのではなく、こういう専門家を長期間養うことで、この村には、衣類を作る機械、鍛冶場、大工道具がどんどん整備されてゆきます。
また、これらの物理的な生産設備だけでなく、それら専門職人によって衣服や農具や家屋を作るために必要な技能や知識がどんどん蓄積されてゆきます。村人たちが永年続けている粟の貯蓄は、生産設備や科学技術の知識という形に変わって、社会に蓄積されてゆくのです。

豊かな社会は生産能力が高い社会です。生産能力が高い社会というのは、人間に必要なものを生産するための設備や生産に必要なノウハウが高度に蓄積された社会です。逆に貧しい社会には、生産設備や生産に必要な知識の蓄積がありません。

今回は、社会が豊かになっていく過程での貯金の大切な役割をみてみました。
人々が豊かにならないのは、人々がお金を貯めこんで使わないからいけないんだ、もっと豊かになるためには、消費を増やさなければならない、という主張に頻繁に出会いますが、この主張が完全に間違っているということは、上の説明で明らかです。
貯金は貯金をする本人が自分の将来の利益のために行うのですが、社会全体が豊かになるためにも貯金は必要不可欠なのです。

次回は、この貯蓄を集約する銀行の、社会における役割をみてみましょう。