貨幣の誕生と金と銀 | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

お金というものは不思議なものです。紙切れ一枚で人々は色んなものと交換してくれます。自分だって労働の代価として紙切れを受け取って生活しています。
お札を見ながら、何でこんなもんで物が買えるのだろうと、多くの人が不思議に思ったことがあると思います。
普段我々が使うお金は中央銀行が発行したものです。だから、お金が交換価値のあるものとして使われているのは、国が法律で「商取引には中央銀行券を使いなさい」と決めているからだと考えがちです。
でも、中央銀行が無くても、人間社会の中で、貨幣は自然に生まれます。貨幣が生まれるからくりと、金や銀が貨幣として定着する過程をみてみましょう。

貨幣が無いと人々は物々交換をするしかないのですが、物々交換では、自分の持っている物を自分の欲しい物と交換したいときに、自分の欲しい物を持っている人たちの中で、さらに自分が今持っている物を欲しがっている人を探し出す必要があります。これは随分面倒なことなので、人間という動物は、「周りで多くの人が常時欲しがっている物」を取り合えず受け取っておいて、後で、それを自分が欲しい物と交換するということをやり始めます。始めは、この「多くの人が常時欲しがっている物」にも色々あったでしょうが、その数がだんだん絞られてくると、皆さん、物を交換する際には、この、限られた種類の物を受け取りたがるようになり、さらに数が絞られます。この、物の代価として人が受け取るようになった限られた種類の物質や物体が貨幣の始まりです。

とりあえずもらっておいて後で自分の欲しい物と取り替える必要があるので、貨幣に相当するものは、腐るものではまずいし、錆びて粉々になるようなものでも困ります。また、、馬一頭の代価として受けとったものが一個の極めて硬い鉱物の塊だったとすると、これは分割できないので、後で、何人もの人と、米や布や金槌など色々な物と交換しようとする時に不便です。だから、貨幣になるものは簡単に分割できる物である必要があります。さらに、入手が簡単で、どこにでもあふれかえっている物が貨幣だと、包丁一本と交換してもらうのに荷車一杯の貨幣を運んでゆく必要が出てきます。これも不便なので、貨幣になる物は、ある程度珍しいものでなければなりません。タカラ貝が貨幣として使われていた社会があるそうですが、この社会は、近くの海辺に行けば、タカラ貝がわんさか転がっているようなところではないはずです。なぜなら、そんなところでは、せっせと働いた代価としてタカラ貝を受け取る人はいないからです。

こういうわけで、世界中のいたるところで、金や銀が貨幣として使われるようになりました。金銀は腐らないし、分割も簡単です。また、金銀は希少なので、取引には少しの量の交換で済みます。

金や銀には、もう一つ貨幣として選ばれる大切な特質があります。それは、金や銀は、錬金術や錬銀術が無い以上、簡単には作り出すことができないということです。金貨銀貨は磨り減るし、また金銀は貨幣以外の目的にも使われるので、貨幣として使われている金銀は少しずつ減ります。でも同時に、金山や銀山から新しく金銀が供給されるので、貨幣としての金銀の量は大きく変化しません。それに金山や銀山からの産出量もそんなに多くはありません。社会に存在する量に大きな変化がないので、金や銀の量、つまり重さは、麦や塩や魚などの商品と交換する際の、交換基準として安定しています。商品を売った代価としての貨幣の価値が、後で大幅に下がったりするようなことがあれば、品物を売って貨幣を受け取っていた人々は大損をします。こんな場合には、人々は後で損をすることが分かっている貨幣を受け取ることを拒否し、物々交換に戻ります。物々交換は商取引を不便にし、また停滞させます。作っても交換出来ない物を人々は自分が消費する以外には作らないので、生産活動も滞ってきます。社会の中に存在する量が大きく変化することのない金や銀が貨幣として使われると、商取引と生産活動を促進します。

金や銀を貨幣として使うようになった人々が、金貨や銀貨をいつも持ち運ぶのは物騒だとか不便だとか思い始めると紙幣が生まれます。商売柄、元々頑丈な金庫を自宅に持っていた町の金(きん)細工屋が、人々の金銀を預かるという商売を思い付いたとすると、これが銀行の始まりです。近くの村に住む農家から金(きん)五グラム預かった金細工屋は、金五グラムの預かり証文をこの農家に渡します。これが銀行券です。この農家は同じ村の鍛冶屋から金五グラムの値段の鋤を購入しようと思ったときには、町の金細工屋のところまで行って証文を返却し、金五グラムを受け取り、それを村まで持って帰って鍛冶屋への支払いに当てることができます。でも、村から町まで出るのは手間だし、また、鍛冶屋だって、受け取った金(きん)を町まで持って行って、金細工屋に預けて証文を受け取る必要があります。お互いの手間暇を省くために、鍛冶屋は農家から金細工屋の証文を代価として受け取るでしょう。これが紙幣の始まりです。

ところで、世界のいたるところで貨幣として尊ばれるようになった金や銀ですが、金や銀そのものに価値が内在しているわけでは決してありません。金や銀は食べられるわけではないし、金や銀の貨幣以外の用途も限られています。人々が金(きん)を商品の代価として受け取ることを拒否しないのは、他の人々も金(きん)の受け取りを拒否しないと信用しきっているからです。たとえ世界中の人々の全員が「こんな金属の塊をみんな商品交換の代価として受け取るなんて変だ。こんなもの食えもしないのに、馬鹿馬鹿しい」と思っていたとしても、その同じ一人一人がまた全員で「自分はこんな金属に価値は見出せないけれど、他のみんなが商品交換の代価として受け取るから、自分だって受け取るんだ」と思って金(きん)を代価として受け取り続けると、社会の中で金(きん)は貨幣として通用し続けるのです。