Scene18 ブルースはお好き? | ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

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80年代の湘南・・・アノ頃 ボクたちは煌めく太陽のなかで 風と歌い 波と踊った。

重々しい樹影に包まれながら、僕たちは建長寺の半僧坊へ続く参道を歩いていた。

ウォークマンからはカーペンターズの儚いバラードナンバー「青春の輝き(I Need To Be In Love)」が流れている。

僕が幼い頃、初めて好きになった洋楽曲――
カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド(Top of the World)」と、そしてママス&パパスの「夢のカリフォルニア(California Dreamin')」。どっちが先だか忘れたけれど、いずれにしたってそのどちらかだ。

ママス&パパスのレコードは持ってないけれど、小学生のとき買ってもらったカーペンターズのベストアルバムは、中学に入った今でもたまに聴いている。

まだそんなに長く生きてるってわけじゃない。
けれど、彼らの歌を聴いてると、郷愁心を煽(あお)られるような、なんだか甘酸っぱい懐かしさに心の奥がくすぐられる。

とにかく、やけにセンチメンタルな気持ちにさせられてしまうんだ。

そんなことも多少は影響したのだろうか。僕はついこないだまで、すぐそばにいたはずの川澄マレンと過ごした日々をぼんやり思い出し始めた。深い緑の杜のなかで――――


――三ヶ月前――


この街に新緑の匂いがふたたび感じられるようになってくると、やがて風は変わる。

晩春色した風景も少しだけ薄く青みがかった夏色へと揺らめきながら変化してゆく。

蒸し暑さを帯び始めた潮風を背中に受けて、放課後、僕はマレンと松並木の通りを歩いていた。

中学三年になってから毎週ではないけれど、土曜日の学校帰り、マレンはよく僕の家へ遊びに来ている。

「遊ぶ」といったって、FMラジオをずっと流しっ放しで、夕方まで他愛のない話をしたりしてぼんやり過ごす。ただそれだけのことだった。


一九八三年六月十一日(土)中学三年の一学期、午後一時半過ぎ、

マレンは、すっかり彼女の指定席となった南の窓際に座り込み、水無月(みなづき)の、ほのかな陽光を肩先に浴びながら相変わらずファッション雑誌かなんかを読んでいる。

僕はソファにもたれかかってFM番組を聴いていた。

やがてスピーカーからはエルトン・ジョンの「ブルースはお好き?(I Guess That's Why They Call It The Blues)」が流れて来た。

「エルトン・ジョン」 といわれても、爽やかなピアノのメロディが心に残る「僕の歌は君の歌(Your Song)」くらいしか彼の曲を知らない。

でも、この「ブルースはお好き?」のPVを、こないだ初めてテレビで観たとき、なんだかやけに感動したんだ。

「川澄……」
僕は窓際に座るマレンのほうを見つめた。

「えっ?」
雑誌から目を離し、少しだけ顔をあげると、マレンはその大きな瞳を僕のほうへちらりと向けた。

「俺さぁ、最近、この曲がすごく好きなんだよね」

「ん? この曲って 誰の曲なの?」
マレンは少し微笑み、そう訊いてきた。

「エルトン・ジョン」

「ふ~ん。エルトン……さん」

制服姿のマレンは雑誌を閉じると立ち上がって 、ソファに背中をもたれている僕の右隣へ、ひざを抱えて座り込んだ。

レースのカーテンに遮られ、白くて柔らかな初夏の陽光が、ペーパーフィルターでろ過されたよう、南の窓から力なく射し込んでいる。時折吹き込む少し湿った潮風にカーテンがふわりと舞った。

「プロモーション・ビデオでね、男女数人がチークダンス踊るシーンがあるんだけどさぁ、なんかね、その感じがすんごくいいんだよ」

そういって僕が笑うと、なにかを思いついき、マレンも少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

ねぇねぇ、やがて彼女はスカートを押さえて立ち上がり、僕の左手の指先をグッと引っ張った。

「……じゃぁさぁ、踊ってみようよ。 カミュちゃん」

「えぇっ! いいよ、別に」

「いいから。 ほらほら早く」

照れてる僕を強引に引っ張り上げたマレンの左腕は、そのまましなやかに僕のうなじのあたりを抱きしめていく――――

「なんかさぁ、スイミングスクールで行った合宿のとき以来だね。カミュちゃんと踊るのって」

微笑む薄茶色の大きな瞳がすぐ目の前にあるのを見つめた。

「あぁ、あの夜、フォークダンスだかを踊らされたんだっけか?」
と、僕は彼女の右耳の近くでささやいた。

仕方ないんで何となく、ゆるやかにステップを踏み始めると、胸のあたりにマレンはそっと左の頬を寄せてきた。

僕も、その背中をほんの少しだけ自分のほうへと抱き寄せる。気づかれない程度に少しだけ、その指先に力を込めて。

(なんだろう、この感じは? まぁいいか……)

番組は、とっくにCMに入っていた。けれど二人は気づかぬ素振りで、柔らかな陽射しの中をしばらくは、そんな風に揺らめき続けた――――



ウチの親父も母親も、マレンのことは小学校の頃から知っている。

かつて僕らが通っていたスイミングスクールの行きや帰りに、彼女をウチの車で送ってあげたり何度もしていたのだから。

けれど中学に入って、髪も背も伸び大人びたマレンをまったく知らなかった。だから久しぶりに彼女を見たとき、「あらぁ、マレンちゃん。すっかり女の子らしくなったわねえ、すごく可愛くなったわよ」と、お世辞ではなく母も本気で驚いた。

マレンは、たまにウチの親に勧められ、一緒に夕食を食べたりしていくんだが、特に遠慮も緊張なんかもせず、いつもすごく喜びながら母の作った手料理などをやたらと褒めたりしていた。

「マレンちゃんも、いつかカミウと結婚したら毎日食べられるようになるわよ」

気分をよくした母親のそんな余計なひと言に、大きな瞳をパチパチとしばたかせ、マレンはニッコリ頷いた。

けれど、さすがに僕らはまだ中三だ。「結婚」という響きに現実味を覚えるはずもなかった。

とはいえ、このところ、両親と一緒に食事をしてるとき、僕らはほとんど会話を交わしていない気がする。

しばらく前から漂い始めた、どこかよそよそしい空気によって、食卓が、なんだか急に居心地の悪い場所になっていたんだ。

だから、こうしてたまに来て、いつもは無言の食卓を大いに盛りあげてくれるマレンには、ものすごく助けられてるんだろうなって思う。

僕も……そして両親にしても……


日が暮れてしまえば、初夏の蒸し暑さも幾分和らぎ、潮風がほんのり優しく感じられる。けれど、もうすぐ静かなこの街に、あの騒がしい夏が訪れるのだ。

その日の夜、マレンを送る帰り道、しばらく黙り込んでいた彼女は、少しだけ複雑な微笑みを浮かべると、やがてゆっくり僕を見つめた。

「あたしさぁ、カミュちゃんの家にね、いつか一緒に住んでもいいのかなぁ?」

彼女の口元に浮かんだ微笑が、どういうわけだか、そのとき不思議と儚く思えた。

「ウチ? 別にいいんじゃない」
少しだけ語尾をゆるませ僕は笑ってそう答えた。

彼女の言葉が意味するところは、何となくだが理解はできた。

すると、突然マレンは不安そうな顔をして、
「ウチのお母さんね、来週、精密検査するみたいなんだけどさぁ」
と、小さな声でささやいた。

「えっ、検査って病気の検査ってこと?」
あまりに予想外だったので、思わず驚き、僕は声が大きくなった。

「うん。まだよくわかんないけど……お母さんさぁ、少し前からなんだかすごく疲れやすかったみたいでね。こないだ病院に行ったんだけど血液検査の結果が悪かったんで、もう一回ちゃんと検査するみたいなんだよ」

と、マレンは大きな瞳を伏目がちにし、曇らせた。

「まぁ、たぶん大丈夫でしょ。俺も最近疲れやすいし」
正直、僕はどう答えていいのか分からなかった。

「そうだよね……大丈夫だよ、ね?」
まるで、みずからを説得するような口調でマレンはそう呟いた。

が、その言葉に含まれたわずかな不安がきっかけとなって、急速に膨らみ始めたネガティブな空想が、マレンの笑顔を跡形もなく心の内へと吸い込んでいってしまうような――

なんだかそんな気がした僕は、彼女をどうにか現実に引き戻そうと、慌てて言葉を探し出す。

「でも、まぁもしさぁ……」
とっさにそうはいってはみたけど、次の言葉がすぐには思い浮かばない。

あとに続く僕の言葉がなんであっても、お母さんの検査結果が悪かった場合の慰めになるだけだろうと思ったからだ。マレンも、しつこくその先までを聞こうとはしなかった。


――カミュちゃんは、アタシのこと好き?――


ふいにマレンは話を逸らした。

「え? あぁ、まぁたぶんね」

「あたしはねぇ……ずっとカミュちゃんが大好き」

いつもの、そんな他愛ないやりとりにさえ奇妙な空白部分が断片的に混ざり込む。

南からの潮風が彼女の長い黒髪や制服のスカートをサラサラと、優しく揺すった。うしろで手を組み、僕の少し前をゆっくり歩きながら、やがてマレンは、わずかばかり口調を変化させた。

「アタシね、もしかしたら来年から働こうかなって、ちょっと思ってるんだよねぇ。だからね、もしいつかアタシと結婚してもカミュちゃんの迷惑にはならないと思うよ」

サラッとそういって彼女は薄っすら微笑んだ。

いまのって、「マレンは高校へ行かない」ってことなの? そうすぐ聞き返そうとしたんだけれど、その言葉の意味を訊ねるよりも先に「結婚」というふた文字が、一瞬なんだかものすごく重たいものに感じられると、つい僕は言葉に詰まってしまった。

別にマレンと結婚するのが嫌だったわけではない。けれど、そのときは、その言葉の響きが、なんだかやけに重たかったんだ。

(もし去年のクリスマスの夜ならば、きっと今すぐここで結婚の約束なんて簡単にできたんだろうな……そういえばあの不思議な感情は、また最近、すっかり影を潜めてしまった気がする)

もしマレンと一緒に暮らすのなら、それでもいいとは思った。けれど「結婚」というリアルな表現を含む答えが、どうしてもこの場ですぐには返せなかった。

さっき感じた「重たさ」は、彼女の人生そのものの重さだったのだろうか? それとも僕自身の人生に対する微かな不安の表れだったのだろうか。

「将来、何をしようか」なんて、まだ一度も真剣に考えたことなどなかった。ましてや、「マレンと将来結婚する」だなんて、もっとずっと先に答えを出すものだとばかり思っていた。

けれど……「彼女が僕のそばからいなくなってしまう」なんて思ったことも、これまでに一度もなかったんだ。


《でも、まぁもしさぁ……》

途中までいいかけて、やめてしまったさっきの言葉……もしあのままの勢いで続けてたなら、きっと、こういっていたのかもしれなかった。

(まぁもしさぁ……どんなことになってもね、川澄のことは俺が守るから。だから何も心配なんてしなくていいよ)って――

決してその場しのぎの慰めなんかじゃなくって、限りなくそれが僕の本心に近い言葉のはずなんだ。

けれど、そうかと思えば、「やっぱり、今すぐ結婚するかどうかなんて決められない」という現実的なためらいが、ふつふつと沸き上がってくる。

「結婚してもいい」って思う気持ちと「まだ結婚なんて決められない」と思う気持ち。

相反する、そんな二つの想いがグルグルと心の中でまわり続ける。

もし、今すぐそのどちらか一方の答えに決められなくても、マレンと一緒にいたい、っていう想いだけは同じだったはずなのに……

どうしても、そのときの僕には、何も答えることができなかったんだ――――