Scene6 君だけに捧ぐ歌 | ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

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80年代の湘南・・・アノ頃 ボクたちは煌めく太陽のなかで 風と歌い 波と踊った。

一九八三年三月二十五日(金)中学二年の終業式、

僕たちはほんの一瞬でさえ、自分以外の誰かとまったく同じようには生きられない。だから、みんな孤独を感じてしまうんだ。だからこそ、君と共に過ごすこれからの未来に、こんなにも思いを馳せてしまうんだ――

中二の終業式が終わったその帰り道、
「この街で桜を見られる場所なんて、ほとんどないよねぇ」
と彼女はいった。

川澄マレンのいうとおりなのかもしれない。
もし、春光きらめく麗かなこの街の空を、桜花がそよぐ風景があるとすれば、それはきっと学校の校庭くらいなものだろう。

僕らの中学の正門に面した通りにも、合成樹脂で被覆された黄緑色のネットフェンスに沿って、互いに枝先のあたらぬよう五、六本のソメイヨシノが植樹されている。ほんのりピンクに色変わりし始めたその花びらをマレンは嬉しそうに眺めていた。まだ少し肌寒い北風が、彼女の長い黒髪をほのかに揺らし続けている。僕も彼女の見つめる視線の先をそっと見上げた。

今月初め、僕が病院送りにしたあの担任教師は結局、今日になっても学校へは来なかった。まぁ、いまさらもし来られても、互いにどんな顔をすればいいのかわからなかったけど……

「あたしさぁ、小学校の校庭にあったサクラがね、すごく好きだったんだぁ」

僕の横顔を見つめる彼女の瞳に、フッと追憶の彩りが広がっていく。たしかに僕らの小学校に植えられていた桜の木は、フェンス沿いに色めくこれらの樹々より遥かにもっと背丈が大きく、何よりもっと優雅だったような……

思えば、最後にあの桜の花色を見てからは、まだ、たかだか2年しか経っていないのだ。手を伸ばせばすぐにでも触れられるほど、鮮明な記憶の覚めやらぬうち、なんだかものすごく大人になってしまったような気がするんだ。
僕も、そしてマレンも……

「川澄」
僕は、ポケットを探りながら彼女の名前を呼ぶ。
「ん?」
彼女のあたまの上に降り落ちる、小さく可憐なサクラの花びらにもよく似た色の唇をほんのり淡く微笑ませ、マレンは大きな瞳で僕を見つめた。

「よくわかんないケド、これ……とりあえず作ったよ。まぁ中三になるまでに作るって約束だったからねぇ」

僕はマレンに一本のカセットテープを差し出した――
ついこないだ応接間でピアノを弾きながら歌ったものをカセットデッキで録音したんだ。もちろんマイクなんて使ってないのだから音質なんか相当にヒドいままだった。

何より、隣近所から苦情のこぬよう、歌も伴奏もその音量を配慮しなけりゃならなかったので、なんだか途中途中、ささやくような中途半端な歌になってしまった。

それにしても、いざカセットデッキの録音ボタンを押してから演奏すると、普段は苦もなく弾けるのに、どういうわけだか緊張しちゃって、指先がいつものように動かなくなる。「演奏しながらホンキで歌う」って、こんなにも難しいものだと思ってもみなかった。何度弾いても、最後までミスらずに弾くことができず、結局、六回目くらいに録った、いちばんマシなテイクを仕方なく僕は選んだ。

「これってさぁ、もしかして『あたしの歌』なの? 聴いてもいい?」
大きな瞳を歓喜に輝かせたマレンは、早速カセットを取り出すとウォークマンに挿し込んだ。そして髪の両側を耳の後ろにかけるようにし、ニコッと微笑んでヘッドフォンにあてた。彼女が再生ボタンを押してからの数秒間、僕は不安と恥ずかしさが入り混じったなんともいえない複雑な気持ちになっていたんだ――

イントロがはじまったらしい。僕を見つめるマレンの顔から、だんだん笑みが消えていく。そして長いまつげで大きな瞳を閉ざしたまま、まったく動かずその曲を聴き始めた。

――おそらくは一番が終わったのだろう――

まだ芽吹くには少し気の早い桜の花びらが、陽気のよさについ、その花冠をほころばせていくかのように、押さえきれない喜びを白桃色の唇に湛えて、マレンは薄っすら開いた瞳で一瞬僕を見つめた。

気恥ずかしさをひた隠すのに精一杯だったけれど、僕も少しだけ微笑み返した。が、その場に僕を置き去りにしながら、マレンの大きな瞳は、ふたたび長いまつげで閉ざされていった。

どうやら曲が最後まで終わったらしく、静かにマレンはヘッドホンを外した。彼女は紺色のコートの胸元にウォークマンを抱きしめながら穏やかな口調で訊ねた。

「これってさぁ、パルが弾いたの?」
「うん、ちょっと演奏ミスったんだけどね」

そう答えた僕を、しばらくは何もいわずにマレンはずっと微笑みながら見つめていた。

「あのさぁ、もう一回聴いてもいい?」
僕の返事を待たずにマレンはカセットテープを巻き戻し、またヘッドホンを耳にあてた。再生ボタンを押した彼女の顔からは、さっきと同じよう、だんだん微笑みが消えていく……

ゆるやかにカーブを描いた二重のまぶたが、ふたたび静かに開かれたとき、その長いまつげに引き連れられた涙の粒が、マレンの大きな瞳から、ゆっくりと、そしてだんだん止め処なく溢れ始めた。彼女は涙をぬぐうよりも先に、僕の胸へとしがみつき、そして小さな声でささやいたんだ。

「本当に……本当にすごくいい曲だよ。あたし、ぜったい一生大事にするからね。ありがとうパル。これからもさぁ、この曲をあたしのためだけに歌ってくれるんだよね? あたし以外の人に歌っちゃだめなんだからね。あたしもね……この曲と同じ気持ちだよ。同じくらいにパルのことを、ずっと、ずっとずっと愛してるから……本当だからね」

道行く生徒の視線などまったく気にもせず、マレンは嬉しそうな笑顔を溢れ続ける涙の露で染めながら、僕の胸の中でウォークマンを大事そうに抱きしめていた。彼女の肩をそっと左の腕で包み込み、僕はまた桜の花を見上げた。

こうやって薄紅の桜花の色を目にした分だけ、僕らは大人になってゆくのだろう。

そう、決してウソじゃない――、もし、この歌の歌詞が「僕の本心」だとキミが感じたのなら、変ないい方だけど、別に「それでもいい」って思うんだ。

 偶然でもいいよね 出逢える理由なんてさ
 これから同じ夢を ふたりで見るために

 今日からはキミのすべて 守り続けていけるよ
 もっと強くなれるはずの 僕を信じて

マレン……、
「好き」って気持ちを言葉にするのはさぁ、なんだかものすごく恥ずかしいんだけど。もしね……、もしキミが僕と同じ気持ちならね。「これは本心だよ」ってことくらいはさぁ、いますぐキミのその大きな瞳を見つめたままでもいえるような気がするんだよ。

いまの僕にとって、この気持ちが本当の愛なのかどうかなんてよくわかんないんだけど、別にまだ愛なんかじゃなくてもいいんだよね。

でもさぁ、いつか絶対、この歌詞に書いた気持ちに追い付いてみせるから。絶対に他の人の前では歌わないし、それにさぁ、いつかこの曲を、ちゃんと君の前で歌ってあげるから。
それだけは約束するからね……



一九八三年四月二十二日(金)中学三年の一学期、午後四時頃、

「新しいクラスはどう? 面白い?」

放課後、桜の花びらで埋め尽くされた正門までの道のりを楽しそうに歩きながら、川澄マレンはずっと微笑んでいる。

「あたしのクラスはねぇ、なんだか大人しい子ばっかりでイマイチなんだよねぇ」
「二年の時のヤツとかは? 誰か一緒のクラスになったんだっけ」
僕は彼女の微笑んだ横顔に訊ねる。
「う~んと、まぁ何人かいるけどさぁ。でも、あまりその子たちとは仲良くなかったからねぇ」

マレンは満開を少し過ぎたばかりの枝先に、薄茶色の大きな瞳を向けた。白々とおぼろな春光がマレンをほんのり照らしている。優しく霞んだ霧状の光を浴びる彼女がなんだかキレイだった。

「ふぅーん。俺のクラスもそんなに面白くはないけどね。ウゼェ野郎連中が休み時間とかに騒いでて、なんだかスゲェうるせえしさぁ」

吹き抜ける春風に桜の薄片がフワッと一斉に舞い上がった。
浮遊する淡い桜色の雨は、やがて僕らの上にヒラヒラ降り注ぎ、そのたびにマレンの艶やかな黒髪にはピンク色の花びらが数片づつ残されていく。

「あたしさぁ、パルのこと、これから『カミュちゃん』って呼ぼうかな」

マレンは相変わらず微笑みながら、チラチラと降り落ちてくる撫子色(なでしこいろ)の花びらに手をかざした。

「まぁ別にいいんじゃねぇの。……じゃぁ俺は『マレンちん』って呼ぼうかな」
僕は彼女をちょっとからかってみる。
「なんで『ちん』なのよ」
マレンは予想通り、少しだけプクッと頬を膨らませた。
「何となく」

指先をマレンのほうへ伸ばすと僕は、彼女の髪に舞い降りた薄いピンクの薄片をつまんだ。その花色をしばし見つめて、風の中にそっと帰した。

「いやだ!」
「いいじゃん『マレンちん』で、別に」
「絶対にイ・ヤ・だ!」

マレンはいつものように頬を膨らませたままで制服の上から僕の左腕をつねってきた。僕は彼女の左頬を指先で押しながらアハハと笑った。

海にほど近い、この界隈に建ち並ぶ大きな屋敷の庭先には、パステルカラーの花々と新緑の若葉が眩しく咲き誇っている。ほんのり暖かな風の中、漂うそれらの薫香が、風景の彩りを次第に淡い原色へと変化させてゆく。

新しい季節の到来を告げるその春風は、たゆたいながらマレンの長い黒髪をずっとなびかせ続けていた。