rainmanになるちょっと前の話。24





予想以上の動員を記録し、大盛況のうちに幕を閉じた、THE JETLAG BAND!!!のポカラライブ。


その夜の打ち上げは、みんなで肩を抱き合って笑いあい、これまでの道のりを語りつくし、飲み明かした。

そして、その打ち上げの終了と共に、我々THE JETLAG BAND!!!という集団活動も終わりを告げようとしていた。


翌日、朝早くMさんがホテルひまりから旅立っていった。
俺らは全員で見送った。
Mさんは「楽しかったよ!みんなありがとう!この余韻にもう少し浸っていたいけど俺は次の町に向かうよ」と右手を差し出し、俺らは順番に握手をした。



その後も、次々とホテルを出て行くメンバーがいるんだろうな…と思っていたのだが、実際はそうでもなかった(笑)。
というより、みんなやっとバンドの練習から解放され、普通の旅行者に戻ったわけで、「さぁ、これでネパールをやっと観光できるぞ!」という感じになっていたのだ。
どうやらみんなも俺と同じく、先を急ぐ旅じゃないらしい。
しばらくは、この居心地のいいホテルひまりに滞在するつもりらしかった。


アンナプルナ山脈へのトレッキングへ行ったり、フェワ湖でボートに乗ったり、自転車を借りてダムの方までサイクリングに行ったり、レイクサイドで買い物したりと、普通の旅行者に戻り毎日を過ごしていた。



世の中は、20世紀から21時世紀へと世紀を跨ぐ年越しを目前にひかえた、歴史的な年末に差し掛かっていた。
とはいっても、ネパールは仏教&ヒンズーの国なので、日本や欧米のように「ミレニアム!」とか言って騒いでる感じでもなく、わりと静かな年末だった。


俺は、新年はインドで迎えようとは思っていたのだが、12月下旬まではネパールで過ごすつもりでいた。
ポカラは、第二の故郷と呼べるくらい好きな町なのだ。ライブも終わったし少しゆっくりとラジュー家族とでも遊びながらノンビリしたかった。



俺は毎朝、ホテルの2件先にあるジャーマンベーカリーというパン屋さんで、朝食をとっていた。
大体、朝起きてそこに行くと、ホテルひまりのメンバーが飯を食っていた。
その店の、道路に面した屋外テーブルに座り、NさんやZさんやBOSSなんかと下らない話をして、日向ぼっこしながらダラダラと飯を食い紅茶を飲むのだ。
旅では、こういう瞬間がたまらなく贅沢に感じる。いくらダラダラしても、誰も怒らないのだ(笑)



ある日、いつものようにその店で朝食を取っていたら、目の前の道を「二匹のパンクス」が通りかかった。
二人、というより「二匹」と数えるほうが似合うくらいの、パンクスらしいパンクファッションの日本人青年だったのだ。

一人は金髪のモヒカンで、鋲のついた革ジャンを着ていて、もう一人は全身黒で、鼻輪のようなピアスをつけていた。
仏陀が産まれた国ネパールを歩くには、とても不釣合いで違和感のカタマリだった(笑)。
しかし、そういうところが、俺は一発で気に入ってしまった。変なやつ大好きなのだ(笑)。


俺は早速声をかけてみた。「こんにちはー。すごい格好ですねー二人とも」
二人は、俺に気付くと、「こんにちわ。いやー、まだこの町に着いたばかりなんですわー」と関西弁で愛想よく答えてくれた。意外と礼儀正しい感じだ。
自分も10代でパンクバンドをやっていたからわかるのだが、パンクスっていうのは見た目によらず礼儀正しいのだ。

彼らは、「どこかいいホテル知ってますぅ?今泊まってるホテル、あまり気に入ってなくて…」というので、「じゃあ俺が泊ってるホテル見てみます?ドミトリーなら空いてるし…」と答えて、そのまま俺は、パン屋の会計を済まし、彼らをひまりの自分の部屋まで連れてきた。



この頃の俺の部屋は、毎日誰かしらが遊びに来てる状態だったので、けっこうオモテナシには慣れていたのだ。


彼らは俺の部屋を見て驚いていた。旅行者ではなくここに住んでる人だと思ったのだろう。
この頃俺は、玄関マットや壁に飾る絵(タンカ)なども自分で購入して自分の住みやすいように部屋を模様替えしていたのだ。
ホテルオーナーのラジューも特に何も言わないので、かなり自由に使わせてもらっていた。

「何年くらいいるの?」と言われたので、「いやー、まだ2ヶ月位ですよ」と答えた。


それから自己紹介を交えつつ、しばらく話をした。
金髪のモヒカンの男性は、「W君」といって、俺と同じ歳だった。
黒い服装の鼻ピアスの男性は「8ちゃん(はっちゃんと読む)」と言って、一つ年下。二人は幼馴染らしく、一緒にインド・ネパールの旅に出てきたという。

W君も8ちゃんも、見た目の通りパンクが好きで、俺も大好きだったのですぐに仲良くなった。


しばらくして俺は「ちょっとカフェにでも行きましょう」と言って、自分の部屋を出て、二つ隣のS君の部屋を改造して作った「LEGTIMERS CAFE」に入った。

W君も8ちゃんも、まさかホテルの部屋がカフェに改造されているとは思わなかったようで驚いていたが、かなり気に入っていた。
俺は、「このホテルはちょっと変わった住人が多いんだ。もともとここに滞在してる旅行者同士でバンドやってて、先月レイクサイドでもライブやったんだよ」と話した。
二人は「なんだかよくわかんないけど楽しそうだから、ここに移るよ!」と言った。


彼らは一旦ホテルに戻ると、チェックアウトを済ませて、すぐにまたやってきた。
そして無事にホテルひまりのドミトリーにチェックイン。こうしてまたホテルひまりの滞在者が増えた。



俺はその夜、二人を食堂に招き、滞在してるバンドのメンバーに声をかけ集合してもらい、晩飯を喰いながら演奏をして彼らに唄を聴かせたのだ。出会いの宴である。


彼らは、すっかり気に入ってくれて、メンバーみんなともすぐに仲良くなった。


そのとき、8ちゃんが「俺もギター弾けるで」と言った。

「お!ほんと?」と俺は言い、早速ラジューのギターを借りて、二人で一緒に弾いたりした。
8ちゃんは唄もギターも上手くて、一緒に音を出せるのがとても嬉しかった。
もう少し早く出会ってればバンドで力になって貰えたのになぁなんて思ったりもした。

W君も一緒に唄を歌ってくれた。W君も昔バンドで唄っていたそうで、パンクス独特の声を張る歌唱法でみんなを惹きつけていた。
懐かしいパンクの曲をカヴァーしたりして、その日は遅くまで唄い明かした。


その後もこの二人とは毎日一緒に呑み、毎日演奏して唄った。


そのうちC君とW君と8ちゃんと俺で、「月の爆撃機」という名前のパンクユニットを組んだりして遊んだ。
「インドでライブやれるかなー?」「さすがにインドはライブハウスないでしょー?」なんて会話もした。




2000年、年末のホテルひまりは、他にもたくさんの人が出入りしていた。
そして毎日誰かしら俺の部屋に顔を出してくれ、しばらく遊んで帰っていった。
中には隣のホテルからベランダを超えて俺の部屋の窓から遊びに来るやつらもいた(笑)



みんな個性的で、それぞれが変なあだ名で呼び合っていた。


「おにゃんこ」
「組長」
「達人」
「ナオトくん」
「四代目」
「若旦那」
「ノブ」
「アンジくん」
などなど。。


どいつもこいつも長期旅行のツワモノバックパッカーで色んなエピソードを持っているので、話を聞くのが楽しかった。
彼らとも、今現在になっても交流があり、このひまりでの出会いは本当に宝物だといえる。


特に「四代目」や「ノブ」とは、その後インドの旅でも一緒に行動し、仲良くなっていった。

「四代目」は、のちのち大阪でゲストハウスの管理人を始め、rainmanの関西ツアーの宿泊の拠点を作ってくれた。
「ノブ」は、のちのちオーストラリアの旅でディジュリドゥ吹きになり、rainmanの1stCDのレコーディングにも参加してくれた。
大切な友達であり、恩人たちだ。




そんな楽しい毎日を過ごしているうちに、あっという間に2000年も残り2週間ほどになった。


その頃になるとひまりのメンバーも半分以上はインドに旅立っていた。


Nさん、Oちゃん、C君、T、Zさん、BOSS、K君と、見送りを繰り返すうちに、少しずつ静かになっていくホテルひまりを眺めながら、俺もそろそろ出発かなと思った。



俺はインドビザ取得のため、一度カトマンズに向かった。
月極めで部屋代を払っていたので、ひまりでの部屋や荷物はそのままでいけた。
インド大使館にインド3ヶ月滞在用のビザを申請して、5日ほどで無事に取得することができた。
そして再びホテルひまりに戻ってきた。


ネパールでは結局2度も滞在ビザを延長し3ヶ月いたことになる。
移動にたいして億劫になっていた俺の心も、やっと旅人らしく「やる気」が出てきた。



ネパール・ポカラからインドに陸路で入るには、スノウリという国境の町を経由する一泊二日のバスの旅が主流だった。
この国境越えは、過去の旅でも1度経験していた。スノウリで宿を取り、次の日の朝国境を越えれば、もうそこはインドだ。
俺はインドに入ったら、「バラナシ」というガンジス川の流れる「聖地」とも呼ばれる街まで一気に移動するつもりでいた。97年の旅でZさんと出会ったあの街だ。



俺は、ラジューに「12月24日に、ネパールを発つよ」と告げた。
ラジューは、少し寂しそうに「そっか、大ちゃんもついに行っちゃうんだね」と言った。



「そこで、ラジューにちょっとお願いがあるんだ」
「なに?」
「せっかくクリスマスイブからクリスマスにかけて移動するわけだし、俺、サンタクロースになろうかなと思って…」
「え?サンタクロースになるって??どういうこと?」
「サンタクロースの赤と白の服と帽子あるじゃん。あれ、どこかの生地屋さんで作ってもらうことできないかな?お金はいくらでも払うからさ」
「あ、なるほど。サンタの格好するのね!わかった。大丈夫だよ。たぶんそんなに高くないよ」
「ありがとう!じゃあ23日の夜までに仕上がるようにお願いします」




というわけで、俺は、サンタクロースでインド入国を目指すことになったのだ。






続く。


次回からいよいよインド編!