rainmanになるちょっと前の話。23




緊張と空回りで全く思い通りにいかなかった、我々「THE JETLAG BAND!!!」の初ライブが終わった。


その翌日からの練習は、今までの練習とは比べ物にならないくらいみんな集中力があった。
生まれて初めて「ライブをする」ということを体感し、それぞれが自分に足りなかったことを一晩考えたのだろう。この日からの演奏は、「バンドの練習」というより「ライブを想定してのリハーサル」という感じに変わっていった。


ひまりガーデンライブのみの参加だったはずのMさんも、「レイクサイドのライブまで付き合うよ!」と言ってくれ、一緒に練習を繰り返した。旅の予定までも変えてしまうほどの魔力が、「初ライブ」にはあったのだ。



気持ちが変われば変わるもので、バンドとしての音もだんだんそれっぽくなってきた。
まだまだヘタクソな素人ではあったが、たまにグッとくる演奏をする瞬間もたくさん増えたのだ。

俺らは、飯と寝る以外の時間のほとんどを楽器の練習やコーラスのハモリ練習などにあてた。
ひとつひとつをクリアしていくことが楽しくてしょうがなかった。


一人のバックパッカーとして日本を飛び出し、いつのまにか旅で会ったものたちと、いつのまにかバンドを結成し、そしてライブをした。
そんな奇妙な巡り会わせを、メンバーそれぞれが楽しんでいるように思えた。
日本での日常生活では絶対会えないような種類の人間と、こうして短期間で家族のような信頼関係を築くことができる。旅というものの醍醐味を、バンドという「魔法の集合体」を通して、皆ひしひしと感じていた瞬間でもあった。



あっという間に時間は過ぎ、俺らは遂に、ポカラ・レイクサイド「クラブ アムステルダム」でのライブ当日を迎えた。



初ライブ当日の朝とは違い、俺にはメンバーみんながリラックスしているように見えた。
「やることはやった。とにかく楽しもう」といった感じだ。
それもこれも、ひまりガーデンでの初ライブがあったからこその感情だ。
ガーデンライブを企画してくれたひまりのオーナー・ラジューには、ただただ感謝した。


この日のためにC君は、日本からビデオカメラを郵送してもらい、俺らの行動を朝から記録していた。あの時の映像、今もあるのだろうか?
いったい俺はどんな顔をしていたのだろうか?
今になってとてもそれを観てみたい。
きっと、旅の魔法に取り付かれた、その時しか出来ない、その時だけの顔をしているのでは?と思う。



昼過ぎにメンバー全員で「クラブ アムステルダム」まで移動し、セッティング、サウンドチェックを済ませ、夜の本番を待った。


けっこう広い店で、80人ぐらいは軽く座れそうだ。いったいどれくらいの人が来てくれるのだろうか。手書きのチラシのみの告知だ。この日のライブを知っている人がポカラの町にどれ程いるのか?想像もつかなかった。
少しでも椅子が埋まり、盛り上がればいいなと願った。


BOSSやK君は、「ライブ前やライブ中もビデオを撮るよ」と言ってくれて、C君のビデオカメラを持ち、忙しそうにライブ前のみんなの表情などを撮ってくれた。ありがたかった。


Zさんは、俺が「今日これ着て下さいよ」と渡した赤のジェットラグTシャツがとても気に入った様子だった。「伝説の幕開けやね」とか言いながらジャグリングボールで遊んでいる。




いよいよ店がオープンした。

ポツポツとお客が入ってくる。



中には、カンボジアで会った旅人や、タイや中国で会った旅人達の顔も見えた。
日本に一度帰国したのに、わざわざ再出国して来てくれた旅人もいた。
みんな国をまたいで、ここまでライブを観に来てくれたのだ。
自然と再会の握手は、掌に力が入った。本当にありがたかった。


驚いたのは、欧米旅行者の来場が多かったことだ。
レイクサイドはもともと欧米のバックパッカーが多いのだが、日本人客と同じくらい、欧米の方も来場してくれた。



お客はどんどん増えていき、演奏開始時間になる頃は立ち見も出るほどで、たぶん100人近くいたのでは、と思う。

まさかここまで動員があるとは思っていなかったので、メンバー一同驚いていた。
しかし、俺らは「平常心」を心がけた。
ここで緊張してしまっては、初ライブの失敗を繰り返してしまうことになる。
リラックスして、すべてを楽しむ方向に心を運んだ。



そして遂に、「BACK PACK BLUES NIGHT VOL.1」は幕を開ける。



ベトナム・ハノイで思いつきでギターを買い、その後、運命に導かれるように移動しながら曲を書き続けた。カンボジア、タイ、ラオス、中国、チベットと経由し、ついにネパールに入った。
旅の間に出会った仲間達がネパールに集結してくれ、遂に今、思い描いていた「旅人バンドでライブハウスデビュー!」が現実のものとなったのだ。


ひまりホテルでのライブを経験したおかげで、俺らはヘタクソなりにも落ち着きのある演奏を続けた。


会場のお客さんの顔を見る余裕もあった。
みんな楽しそうな表情をしてくれていて、手拍子なんかもいただいた。


ライブ中のMCでもメンバー紹介をしたり、曲の紹介が出来たり、このバンドができた経緯なんかも話せた。




そして約90分に渡るライブが終了した。


アンコールまで頂き、たくさんの拍手をもらえた。




俺は、なんとかやり終えたことで、ほっとした気持ちだった。
メンバーみんな、満足しているような表情で、興奮しながら乾杯していた。
Tは、練習のやりすぎで、本番途中で声が枯れてしまったらしく、ガラガラの声で「もう一回やりてー」と言っていたが、俺らは「枯れた声で良くやったほうだよ」とTを励ました。


お礼を込めて客席を回ると、欧米人女性らにサインを求められたりして、ちょっと照れくさかった。


ラジューや、クラブアムステルダムのオーナーも、よかったよ!と、握手をしてくれた。
ラジューが喜んでくれたのが本当に嬉しかった。



俺は改めてメンバー全員と、強い握手をして抱き合った。


THE JETLAG BAND!!!のポカラ2回目のライブは、こうして終わった。
そして、そのライブの終了は、同時にTHE JETLAG BAND!!!としての集団活動の終了も意味していた。
ライブのために共同生活をし練習を繰り返してきたが、もともとはそれぞれ一人のバックパッカー。
ライブが終わった以上、バンドとしての集合体は消滅することになるのだ。
この時のメンバー一人一人との握手と抱擁は、それこそ言葉では言い表せない様々な想いがあった。


いつまでもこの夜が続けばいい、そう思った。



続く。