rainmanになるちょっと前の話。19
ネパールの首都カトマンズでの生活は心地よかった。
S君の合流で、ゲストハウス屋上でのバンド練習にも刺激が加わり、みんな下手くそだったけど真剣に取り組んでいた。
何かを覚えたり習ったりする時、「旅」ほど最適なものはないのでは?と思う。
旅の間は、「やらなければいけない事」っていうのがないので、やりたいことだけを好きなだけやれる。お腹が減れば飯を食いにいって、眠かったら寝る。それ以外は好きなことだけに時間を使えるのだ。
そういう生活の中で、好きで孤独になり、好きで過酷な移動をする。本当に旅は「贅沢な遊び」の一つだなと、つくづく思う。
S君の合流の数日後、ついにOちゃんがチベットからネパールにやってきた。
重いキーボードを持って、あの崖を渡り、国境を越えてきたのだ。
俺ら男の子たちはみんな、紅一点のOちゃんの合流を心から祝し歓迎した。女の子が一人加わるだけでこうも違うのか!?とびっくりする程、メンバーみんなの生活に潤いが出たように思えた。女子はやはり偉大である。
これで、俺がここまでの旅で声をかけたバンドのメンバーは、カトマンズでついに全員揃ったことになった。
俺はこの「マンガのような展開」にニヤニヤしつつも、胸が熱くなっていた。
約7ヶ月前、日本を出国したばかり頃は、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
思えば、ベトナムでたまたまギターを買ったあの日、なにかが動き出したような気がしたのだ。
各国でギターを通して出会った旅人達が、今こうしてネパールに集結し、俺が作った曲を一緒に演奏してくれている。こんなステキなことってあるだろうか?「出会い」と「音楽」が俺を救ってくれたのだ。
そして俺の旅は今、自分でもまったく予想の付かない方向に流れている。
これからどうなるんだろう。本当にライブできるのかな?
そんなことを思いながら日々を過ごした。
「いくところまでいってみるか」そんな気持ちだった。
ある日、一人で夕暮れのタメル地区を歩きながら、シルバーショップにふらっと寄った。
そのショップには、シヴァリンガを象った珍しい指輪が置いてあった。
シヴァリンガというのは、ヒンズーの神様シヴァ神のシンボルで、男性器と女性器の性交をモチーフにした形だ。
実は俺は、「ヒンズー教の神様」オタクなのだ。数多いヒンズーの神々の生い立ちやエピソードを調べたり、町で子供たちが売り歩いている神様ポストカードを集めたりするのが大好きだった。
レアなポストカードがあれば、高値でも迷い無く手に入れる(笑)。
今までの旅で200枚くらいの神様ポストカードをコレクションしていた。
ヒンズー神の中で、特に俺は「シヴァ」という神様のファンだった。
だから、そのシヴァリンガをモチーフにした指輪を見たときは震えるくらい嬉しかった。
早速、店の人と値段交渉したら意外と安かった。しかも在庫が15個くらいあるという。
俺はその時、思い立った。「この指輪をTHE JETLAG BAND!!!の仲間達全員に付けてもらおう!」と。
「沢山買うから、もう少しディスカウントしてよ!」とお願いし、店にあるその指輪をすべて買って帰った。
宿に戻り、早速メンバーに見せると、みんな気に入ったようすで指にはめてくれた。
後々その指輪は「ジェットラグリング」と呼ばれ、仲良くなった旅人達に俺が渡し、少しずつ広まっていく。ちなみにrainmanのメンバーもみんな持っている。
カトマンズでは、他にも「ジェットラグTシャツ」を作ったりした。
ネパールでは、Tシャツにミシンでオリジナルの刺繍をする店が多く、デザインを描いて持っていけばその通りに作ってくれるのだ。みんな各自好きな色で「THE JATLAG BAND!!!」という文字が刺繍されたTシャツを作り、それをライブのときに着る衣装にしようと話した。
演奏の上達よりも、こういう「形から入るバンド活動」に俺は力をいれていた(笑)。
肝心の演奏はというと、全員で合わせてみるとあまり上手くいかず、まだ手ごたえは無かった。でも、「なんとなく楽しい」という感覚で、毎日をやり過ごしていた感じだった。
カトマンズでの生活で、もうひとつ記しておきたいのは、俺の「母親」が日本からやってきた事だ。
俺がしばらく旅から帰ってこないので、いったい息子はフラフラと海外でなにをしているのだ?と思ったらしく、航空券を予約してここカトマンズまでやってきたのだ。
今、俺も子供を持つ親となり、少しはこの時の母親の気持ちがわかるような気もするが、この時の俺はただただ母の行動力にびっくりするばかりだった。
母親は5日間ほどネパールに滞在し、俺の旅での生活に密着し、裏も表もすべて見て、そして帰っていった。
(※その時のエピソードの1つはこちら。→ http://ameblo.jp/rainman2009/entry-10205180009.html
)
そんなこんなのカトマンズライフを過ごし、そろそろ「ポカラ」にみんなで移動しよう!ということになった。
俺は、ライブはポカラというネパール第二の街でやるつもりでいたのだ。
ポカラには、「ホテルひまり」というゲストハウスを経営してる俺の友達「ラジュー」がいた。
以前の旅でポカラに寄った際、とてもお世話になったネパール人で、その後もちょくちょく日本ネパール間で連絡をとっていたのだ。
ラジューはやり手のホテルオーナーで、日本語も達者だった。
ポカラでライブをすることについて具体的になんの計画もなかったのだが、彼に相談すればライブをやれる場所くらいスムーズに確保できるのでは?と俺は思っていたのだ。
俺らは、7人分のバスのチケットを取り、約6時間の移動の末、ポカラにたどり着いた。
事前に連絡してあったので、バスターミナルまでラジューは迎えに来てくれていた。
ラジューは日本語で「いらっしゃい!!だいちゃんひさしぶり!」と言って握手をしてきた。
俺も「ラジュー、世話になるよ!」と手を伸ばした。「これが、先日話をした、俺のバンドのメンバーだよ。みんなをよろしくね」と紹介した。
ラジューは、「ホテルは全室空けてあるよ。好きにつかってくれていいよ!」と言った。
なんとも頼もしいやつである。
俺らはホテルひまりに移動し、各自好きな部屋をとった。
友達だけで、一つのゲストハウスを占拠できるなんて夢のようだった!
ラジューありがとう!!
こうして、俺らTHE JETLAG BAND!!!の、「ホテルひまり」での摩訶不思議な共同生活が始まったのである。
続く。
※写真はシヴァとシヴァリンガ