rainmanになるちょっと前の話。18





中国を出国して安堵したのもつかの間、ネパール入国はとんでもなく大変だった。


山道を登りながらネパールのイミグレーション(入国管理局)を目指すのだが、突然道が無くなり、崖が広がったのだ。どこかに回り道があるのかと辺りを見ても、あるのは目の前の崖だけだった。
そして崖の下を見下ろすと、ネパールのイミグレの屋根が小さく見える。


途方にくれていると、後ろからやってきた現地人が俺らを追い越し当たり前のようにその崖を降りていった。


「なるほど、そういうことね。」と俺らはため息を付く。


つまり、この崖を自力で降りて、ネパールに入国しろということなのだ。(※ちなみに現在は橋がかかっているらしい)


両手で岩に捕まりながらゆっくり降りなければいけないような険しい崖なのだが、俺の両手は塞がっていた。
右手にギター。そして左手に、和音の出ない例のキーボードを持っていた。
キーボードはラサに捨ててこようかと迷ったのだが、なぜか愛着が出てしまって持ってきたのだ。
俺は、旅に関係ないものばかり持ち歩いてしまう癖があり、バックパックの中も、中国で買ったマージャン牌や神様の置物各種。スピーカーや、海賊版CD&カセット各種(当時はi-podなんてないのだ)でいっぱいになり、とにかく荷物が多かった。


しかし、崖を降りない限りネパールに入国できない。NさんやK君に楽器を持ってもらいながら何とか進み、やっとの思いでネパールインした。



その日はもう遅かったので、ネパール国境の町「コダリ」で一泊することに。


俺らは、無事にネパールに入国できたことを祝しその夜は大いに食べて飲んだ。チベットでは精進料理のようなものばかりだったので、ネパールカレーやモモが本当にありがたかった。



次の日、朝早く起きてチケットを手配し、カトマンズ行きのバスに乗りこんだ。



たくさんの乗客にまぎれて、なんとか席に座ったのだが、とっさに窓際に置いた俺の小バッグが、一瞬の間に消えた!


「あ!!!」と思った時にはもう遅い。
バスの外側から、開いていた窓に手を伸ばされ、バッグを盗まれたのだ!


窓から顔を出してみると、俺のバッグを持った男が遥か向こうへ走っていくのが見えた。
「やられた!!」


すぐにバスを降りようとしたのだが、次々と乗車してくる客に逆流することになるので上手く進まない。
やっとバスを降りた時には、男の姿などまったく見えなかった。


俺は大きなため息をついた。


旅に出て半年以上が過ぎていた。旅に慣れた心に「甘さ」が出てしまったのだろう。
「荷物を体から離す」という、アジアの旅でやってはいけない初歩的なミスを犯してしまった。
同行する旅仲間も増えて、待ち焦がれたネパールに来たということで、少し浮かれすぎていたのかもしれない。


盗んだ男を恨む前に、俺は自分の旅人としての甘さに反省していた。
アジア舐めんなよ!ってことなのだ。甘さが出たとき、「旅」というものは、いつもちょっぴり痛くそれを教えてくれる。俺は、もう一度しっかり身を引き締めなくちゃ…と思った。


バッグの中には、カメラやフィルム、そしてここまでの旅で出会った人のプロフィールや連絡先を書いた「出会い帳」なんかも入っていた。
お金やカメラはいくらでも渡すから、とにかく「出会い帳」だけは返してくれよ!という気持ちだった。
盗んだ男にとって、俺が旅で出会った人の連絡先などまったく必要のないものなのだから…。
旅での「宝物」のひとつである「出会いの軌跡」を俺は無くしてしまい、それが一番ショックだった。


しかし、なぜかいつもそのバッグに入れてあった、いままで書き留めた曲の「歌詞ノート」だけは、たまたま外に出してあり、手元に残った。
Nさんがそれを見て、「唄を唄えってことじゃないですか?」と言った。
なんだかその言葉を聞いて、すこし心が軽くなった。


「まだ『唄』が残ってる」と。



バスは、何事も無かったように、走り出した。



夜が更けた頃、俺らは無事にカトマンズに到着した。


俺はカトマンズには過去に何度か訪れていたので、みんなをバスターミナルから安宿街まで案内した。
「タメル」と呼ばれる地区が、旅人にとっては拠点となる安宿街だった。


タイのカオサンと少し雰囲気が似ているが、タメルのほうがもう少し規模が大きく、にぎやかで混沌としている。
活気があって大好きな場所だ。


それこそ何百という宿があるので、夜も遅いし俺らはとりあえず適当なゲストハウスにチェックインした。
なぜか俺らは全員腹を壊しており(たぶんネパール入国後に暴食したのが原因?)、その晩は静かに寝た。


次の日、俺はネットカフェに行き「THE JETLAG BAND!!!」のメンバー「ラオス・ヴァンビエンで別れたS君」と「チベット・ラサで別れたOちゃん」に「無事にネパールインできたよ!」ということをメールした。
「中国・雲南省で別れたBOSS」にも、「よかったらネパールに遊びに来てね」と送った。


ついでに今までメール交換した旅人達にも「ネパールでライブやるので、暇ならネパール来てよー」と送信。


インディースバンドではよく近くに住んでる人にメールでライブ告知等をするが、国をまたいで誘ってしまうのが長期旅行者らしいところ(笑)。しかも、意外とみんな暇なようで、各国から「ネパール目指すよー」なんて答えが多かった。



その後、俺らは腹痛と戦いながらも、楽しくカトマンズでの生活を送った。



屋上に登れるゲストハウスに移動し、昼間はみんなで屋上にあがり、バンドの練習をした。


中国移動の間ずっと練習してきたので、まだ楽器を触って一ヶ月とは思えないほどC君やTは、ブルースハープが上達していた。
そして、Nさんも、ここカトマンズでついに「ネパール太鼓」を買い、パーカッションを叩きながら唄うことに…!Nさんの太鼓は、まだまだ下手だったけど(笑)、練習する時間はたっぷりある。
K君は相変わらずマイペースに、絵を描いたり山の地図を見たりしていたが、いつも俺らの演奏するそばにいて聞いてくれた。


俺らは、カトマンズの町を屋上から見下ろしながら、練習を続けた。



そして、ある日の昼下がり、ゲストハウスを出て5人で飯を食いに行こうとしたら、路地の向こうから見覚えのある顔が、大きな荷物を背負って歩いてきた。
巻きスカートにサンダル、髪の毛はボサボサで、随分とヒッピーオーラが増してはいたが、笑顔は一緒だった。


S君である。


俺らは、お互い目が合い、「おーーーー!!!!」と言って近寄り、がっちりと抱き合った。
「来たね!」「来たよ!」


「あれから俺、約束どおりバンドのメンバー増やしたんだ!これがメンバーだよ」とみんなを紹介した。
「おー!Nさん久々!Tも一緒なんだ!」とS君。この二人とS君は東南アジアで会っている。
K君とC君とも、気が合いそうだ。すぐに仲良くなるだろう。


S君は、俺とヴァンビエンで別れた後、ミャンマーとバングラディッシュと北インドを旅してネパールインしたという。


S君と無事に会えたことが嬉しかった。


あの日、ヴァンビエンで、俺が思いつきでS君に語った「ネパールでライブやりたい。S君ネパールで待ち合わせしよう。俺はそれまでバンドメンバー揃えておく」という言葉が、現実になりつつあった。



S君との再会で、THE JETLAG BAND!!!の勢いは、ここカトマンズで急速に増していくことになるのだった。



続く。