rainmanになるちょっと前の話。17
鳥葬ツアーから無事にラサに戻ってきた俺らは、ラサの町を思い切り楽しんでいた。
ラサは空気は薄いけど、慣れてしまうととてもいい気候だった。
日中はカラッとして過ごしやすく、日差しが多少強いけど、空は透き通っていて青かった。
ずっと楽しみにしていた「ポタラ宮」も見に行った。インドへ脱出する前のダライラマが住んでいた王宮、世界遺産だ。
近くまで来て正面から見ると、かっこよすぎてにやけてしまう。大好きな建物だ。
宮殿の中まで見学できるようになっていたので早速入った。中は迷路のようになっていて、たくさんの部屋にたくさんの仏像や曼荼羅があった。
とても楽しめた。
その他に、ジョカンと呼ばれる寺の周りを囲んでいる土産物屋が俺はお気に入りだった。よくTと一緒に「アイテム探し」と称して、様々な土産を買ったものだ。ゆっくり店を見ながらジョカン寺を一周すると、それだけで半日くらいすぐに経った。
チベットはシルバーが豊富で、シルバーの指輪やブレスレット、またお香入れやお香立て、そしてマニ車や仏像までなんでもあり、俺らは値段交渉しながらそれらを買いあさった。マニ車っていうのは、円筒に棒がささったようになってるもので、棒を上手く振ると円筒がくるくる回る。円筒の中にはロール状の経文が入っているんだけど、1周マニ車を回せば一回お経と唱えたことになる!という便利なアイテムなのだ。ちょっとずるい気もするが(笑)
ラサの人々は片手にマニ車を持って、くるくる回しながら歩いてる人も多かった。
そうそう、忘れてはいけないのは、Oちゃんに弾いてもらう「キーボード」を探す件である。
なんと俺らがラサを出る直前に、売っている店が見つかったのだ!
今度はちゃんと複数音が出るか確かめた。
無事に購入でき、めでたくOちゃんはキーボーディストとして「THE JETLAG BAND!!!」に加入したのである。
そして俺らがラサを出る日がやってきた。
Oちゃんは、もう少しラサに残るというので、「ではネパールで再会しよう!」ということになった。
「コードを書いた歌詞ノート」も渡した。再会する時まで自己練習してもらうためだ。
Oちゃんは「ネパールも楽しくなりそう」と言ってノートを受け取った。握手をして別れた。
俺らは、ラサを離れ、バスで「シガツェ」というチベット第2の都市まで向かった。
チベット圏からネパールに入るには、ランクルを調達してツアーを組まなければいけない。
しかし、ラサではネパール国境まで直接行ってくれるランクルドライバーを見つけることができなかった。
そこで、ラサの南西にある「シガツェ」でドライバーを探すことにしたのだ。
チベットはヒマラヤ山脈に囲まれているため、中国から入るときと同じように、ネパールに抜けるときもまたヒマラヤ(今度は逆側)を越えなければならない。
山のプロK君が言うには、「シガツェ→ネパール国境」間は1000キロくらいの移動距離で、20時間くらいで着くらしい。標高も、高いところでも5000Mは超えないらしい。途中に湖周辺やエベレストベースキャンプ(ABC)を通過するからゴルムド・ラサ間よりも楽しいと思うよ、と言っている。
「移動時間は20時間で済む」とか、「標高5000M以内だから大丈夫」とか、日本にいたら考えられない会話だが、中国・チベットで過酷な移動を続けていくうちに、そのへんの感覚が麻痺してしまっていて、K君の話を聞いた俺らも「へー、それなら大したことないね」とか言ってしまっている。ほんとに、慣れというのは恐ろしいものである。
しかし、こういう感覚は、この後のネパール・インドでの移動でとても役に立つことになる。ネパール・インドでの10時間程度の移動は、「お!近いね!」というレベルなのだ。10時間の移動を「近い!」と思うようになれば、もう立派な長期旅行者である。
無事にシガツェに着き、さっそくランクルのドライバーを探した。
2000年当時は、闇ランクルのようなものもあり、パーミット(通行証)を持たないままネパールに抜けるツアーを組むドライバーも存在していた。
当然のように俺らはその闇ランクルドライバーを探した。安く行けそうだったからだ。
なかなかシガツェから一気にネパール国境に隣接している町「ダム」まで直行で行ってくれるドライバーはいなかった。
ゴルムドでそうしたように、俺ら5人はシガツェでも町中を歩き回り、ランクルドライバーを探した。
しかしやはり見つからない。仕方ないので、政府の管理するツーリストオフィスまで行き値段交渉をしようということになった。
門番がいるような立派な門を潜り、俺らは中に入った。そこでは高圧的な公安が、パーミットの確認や破格に高いツアー料金を提示したりしてきた。
なかなか話はまとまらなかった。
俺らは、うなだれながら泊っているホテルに戻ってきた。
しばらくすると、ホテルの部屋の窓から、自転車に乗ったチベット人のおじさんが近づいてくるのが見えた。
自転車に乗ったおじさんは、俺らの部屋の窓の側まで来て手を招いている。なんだ?と思って、俺らは窓に近づいた。
その時、俺は思った。「あれ?あの人どっかで見たことあるような…」
Nさんが「あ!!あいつ、さっきのツーリストオフィスの門番ですよ!」と言ったのだ。
みんなも「あ!!そうだ!!」と声を出した。
門番が何の用なんだ!と俺らは外に出た。
すると、おじさんは真剣な顔をし、早口で俺らに問いかけた。
「◎◎元で、ネパール国境まで行けるけどどうする?」
最初、なにを言ってるのか意味がわからなかった。
しかし、話していくうちにそれが値段交渉だということに気付いた。
つまりなんと、政府の機関の建物の門番が、闇ランクルのドライバーだったのだ(笑)
昼間は政府につかわれた門番、しかし裏の顔は闇ランクルで旅人を運ぶ仕事人ということか!
俺らはびっくりするというより、このヘンテコな展開に笑ってしまった。
そして俺らは、その門番のおじさんにネパールまで運んでもらうことを決めた。
移動は、バスでの移動と比べとても快適だった。
乗っているのが俺ら5人の身内だけなので、トイレ休憩やご飯休憩も自由にできるのがありがたかった。
湖や、エベレストベースキャンプを超え、ランクルは進んでいく。
この移動で見た景色が、また最高に素晴らしかった。この世のものとは思えない世界が目の前に広がっていた。
俺は今まで、この星には人間が入り込んだことの無い場所などもう残っていないのだろうな…と思っていた。しかし、違う。この星には人間が立ち寄ることの出来ない場所がまだまだたくさんある。それはヒマラヤの人々からすれば「神の領域」ということになるのだろう。俺らはその神の領域の風を感じながら、ネパールを目指した。
そして、約丸1日の移動の末、俺らは中国・ネパール国境に到着した。
ついに長かった中国(チベット自治区も中国内)の旅が終わる。
本当に本当に、中国を超えるのは長かった。
でも、忘れられない体験もたくさん出来た。
俺にとって、この旅、2度目となる中国は「悪くなかった」。
「圧勝」は出来なかったが、「完敗」ではない。「引き分け」というところか。
それもこれも、頼もしいチベット越え仲間、Nさん、C君、K君、Tの4人がいてくれたのが非常に大きい。
出会いに感謝した。
そしていよいよ、待ちに待ったネパールに入国だ。
本当にネパールでライブが出来るのか?!俺の心は高鳴っていた。
しかし、そう易々とは俺の旅は進まないらしい…。
この後も、さらに奇妙な運命のうねりに飲み込まれていくことになるのだった。
続く。