rainmanになるちょっと前の話。10



チベット自治区入り口の町ゴルムドに着いた、我々「チベット越え5人衆」。長い長い中国大陸の移動ですでに疲労困憊だった。
俺らは、政府で定められている外国人宿泊OKのホテルにチェックインした。


K君の提案で、この町でしばらく高度順化しようということになる。ここからラサまでの道は険しく標高も相当あがる。最大で5200Mに登るらしい。そして辿り着くラサの街は3700M。富士山の頂上と同じくらいだ。
急にそういう環境に自分をおくと高山病になりやすいという。だから、やや標高の高いこのゴルムドで体を慣らすために3日くらい滞在しようというのだ。
K君はガイドを勤めるくらいの「山」のプロフェッショナルである。みんなK君のいうことを黙って聞いた。




ゴルムドからラサまでのバスの料金には、現地人価格と外国人価格がある。当時は、外国人価格が現地の人の価格より10倍近く高かった。


貧乏旅行者がこれに黙って納得するはずがない。


そこで中国人に変装して、現地の価格で行ってしまおう、という悪知恵が働く。そうすると、何でも商売にする中国人が「変装屋」という商売を始めるようになるのだ。


変装屋っていうのは、中国人の服や靴を用意すると共に、チケットの手配や移動の際の手助けなんかも受け持つ「闇バス移動の何でも屋」なのだ。


変装屋の噂は、東南アジアを旅しているときからよく聞いた。
町を歩いていると、突然変装屋さんから声をかけられて商談が始まるというのだ。



俺ら5人がその話に食いつかないはずがない(笑)



高度順化でしばらく滞在するし、手分けをして町を練り歩き変装屋と接触をもとう!という話になった。


その時Tが、すごい発言をした。


「俺、変装屋の携帯番号しってますよ!確か、ワンさんって人です」


みんなびっくり!なんで知ってんだよそんなこと!


「チベット帰りの旅人から聞いたんですよ。ほらこれ。」
と、見せたものが、携帯番号らしい数字が書かれた紙切れだった。
みんな大興奮(笑)すげーぞ19歳!


次の日早速電話をかけてみた。

そこで大変なことに気付く。


相手の言葉が中国語なのだ!

お手上げである。ワンさんかどうかもわからなかった。



しかし、それで諦めてしまうほど俺らはお行儀よくなかった。こうなったら当初の予定通り、町練り歩き作戦だ!となった。


俺は駅に行ってみる、俺は市場に…と、バランスよく別れ、定期的にホテルに戻ってきて報告をする。そんなことを日が暮れるまで繰り返した。


次の日も次の日もひたすら町を歩いた。しかし一向に変装屋らしき人物からの接触はなかった。


俺は早くラサに行きたかった。ついに我慢出来ずにみんなに提案した。
「明日一日歩いて変装屋と会えなかったら、次の日正規の外国人料金でバスのチケット予約しない?」

みんなもほとほと疲れていたようで、そうしようか、と言うことになった。



次の日、1日中歩き回ってみたが、やはり変装屋との接触はなかった。


よし!諦めよう!ということになり、「今日はゴルムド最後の夜だ。みんなで変わったところに飯を食いにいこう!出発を祝して乾杯だ」そう言って5人で外に出た。


Nさんが「ここにしましょう」と言って入ったのは「イスラム料理屋」だった。
たしかに中国でイスラム料理は変わっている。中国でイスラム教徒の割合なんてごくわずかなのだ。
Nさんはイスラムにはまっているのか、その時、よくイスラムの人がかぶっている白い卵の殻を半分に切ったような帽子をかぶっていた。どこでそんなの買ったのよ…(笑)Nさんのセンスはかなり変わっているのだ。



料理は美味しく、酒も進んだ。


早くラサに行きたいなぁと話す俺らの顔は、もう次の町に辿り着くときの顔だった。





と、その時、一人の男性が声をかけてきた。


何を言ってるのかイマイチわからなかったが、少しだけ英語もできるようだ。


男の口から「ラサ」という言葉が聞こえた。


俺らはドキッとして顔を見合わせた。


まさかこの人変装屋?!



Nさんが彼に名前を尋ねた。





彼は言った。「アイム ワン」




続く。