1-12 おかんの日記 (キャプテンだだお)
予想外の反響ありがとうございます。
高校は、上之宮高等学校という野球の強い学校だった。元木さんや種田さんがいる全盛期だった。もちろん野球部ではない。
しかし、この高校は面白い。校訓が1に掃除である。学問でなく、掃除である。規律も厳しく、生活指導が担任だった時は、窓ガラスの1枚1枚に担当があり指紋が付いているという理由で教育的指導をうけることもあった。
今思うとノリが戦前だが、責任感を叩きこんでもらったと感謝している。掃除好きの方・片付け下手の方は是非進学頂きたい。
頑固おやじの『下宿は、許さん!!』とのやや理不尽な制約のもと地元の関西大学商学部に進学した。何になりたいか確固たる夢もなくビジネスの勉強ができればという漠然とた理由で選択した。
大学時代。本当に楽しかった。全力で学生生活を送った。多くのかけがえのない仲間ができた。
深夜に車を飛ばし、ういろが食べたいと言えば名古屋に行き、お好み焼きが食べたいと言えば広島に行った。かくれんぼをしようと50人ぐらいで一日、本気でしたこともあった。バカなことだが、ほんとに楽しかった。
様々なバイト・ゼミ・サークル活動、本当に色んな出会いをし、いろんな価値観に触れることができた時期だった。
1994年夏、大学生3回生になっていた。深夜バイトが終わり実家に帰宅すると母親が日記を書きながら寝てしまっていた。
そこには、こう記されていた。『こうじは、今日も帰ってこない。青春を謳歌してるのであろうか?あの子に合う道を見つけてもらいたい。』と。。。。
これを読んだ時は、まず恥ずかしさを覚えたが、この時に真剣に自分は何がしたいのか考える時だと感じたのかも知れない。母親の愛と。
周りでは就職活動が始まろうとしていた。やりたいことが分からない焦燥感だけがつのっていた。
そんな時、大学の書店を歩いていると専門学校の税理士コースのパンフレットを渡される。心の中で鈴が鳴る音が聞こえた。
周りに税理士なんて1人もいないのに、なぜかこれだと感じた。そして、パンフレットを握りしめ図書館で税理士について調べ始めた。
歯車が回り始めた瞬間だった。
税理士という本当に面白い仕事につくことになり、社会人では出来ないと思っていた親友もできることになる。
分からない、知らない、誰もやったことがないからやらない。ではなく、分からない、知らない、誰もやったことがないからやってみたい。
この頃も今もそれは変わらない。
<キャプテンだだお>
あすは、企画のプロデューサー!カズオ魂です。
bangohannani?dehanaku,imananni??→