私は高卒なので、学閥には無縁だしそういう枠が無いと
入れない世界には最初から門前払いでございます。
だが同志としての「枠」は嫌いではありません。
同じ思いで、同じカリキュラムを受け、同じ教官の下で
飛躍する為の”つかみ”を得る。悪い事じゃないっしょ。

でもね、大事なのは「枠」自身ではないのだよ。

私が以前に投稿した「過去は生ゴミ」はなにも苦しかった事だけに
限定している訳ではないのです。

たとえ楽しかったことでも、本人がそれをどう未来に反映させているか
ということなのです。

仲のいい友人や仲間が出来た事も、本人がその「枠」に入ったから
なのだし、残念ながらイヤな思いをしてしまったり、大事ななにかを失って
しまったのもきっかけはその「枠」に入ったからかもしれません。

でもさ、物事って結局その時の思いが「全て」ではないでしょう?
時が経てば色んな考え方が出てくるし、「人間万事塞翁が馬
という事もあるのです。

「枠」だけが人生ではないでしょう。
「枠」はあくまで通過点でしょ。

人生に終わりが決められているのだとすれば、たまたま生きて行く中で
そのコースを「選択」してしまったということです。

ま、こういう話を書くと、「過去を思い出してはいけないのか?」といった
批判があります。

その過去ってアナタにとって物理的に危害加えてますか?
そうであれば、それは過去ではなく「現在」です。
なんらかの対応をとった方がいいかもしれません。

もしそれが亡くなった方の事といった「戻れない過去」であれば
おそらく「心の糧」として時々思いだしてあげるといいと考えます。。。

・・・「枠」の話に戻ります。

私は今、とある昔のお仕事プロジェクトで知り合った人と、今同じ職場で
働いてます。
これも当時勤めていた会社の業務命令から始まったとはいえ、
「プロジェクトへの派遣」という「枠」から始まった縁です。
そのプロジェクトのめちゃくちゃっぷりはいつか書きますが、その同僚との
絆が生まれたのは事実であり、私にとっては

「人生の肥やし」

なのです。

プロジェクトをきっかけにその同僚は会社を作りました。
そう、自ら「枠」を作り、プロジェクト元の会社と取引したのです。
そしてお互いがWin-Winになれる関係を作りました。
(後に色々ありましたが。。。)

私がここで言いたいのは、

・「枠」の中で自分から矢面に立たず、文句ばっかり言う人
・「枠」を自分の都合のいいようにしようと背任行為をする人
・「枠」の中でさらに閥を作り、圧力をかけようとする人
・「枠」を踏み絵にして、相手に是非を強要する人

こういう人達は「過去の生ゴミ」がきっと大好きなのでしょうね。

それが好きか嫌いかは精神的嗜好の部分もありますので、私は是非は
申し上げません。
でもね、社会全体から考えたら、あまりいいことではないと思いますよ。





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