権力持っていた大和朝廷の有力者蘇我入鹿を暗殺した天皇家の後継ぎ候補中大兄皇子。
乙巳の変として有名なこの出来事であるが、背景には筋書きを描いた黒幕がいた。
このクーデターが動かした歴史とは?
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以下はWIKIより
蘇我 入鹿
(そが の いるか、推古天皇18年(610年)? - 皇極天皇4年(645年)6月12日)
は、飛鳥時代の豪族。
大臣として大和朝廷の有力者であったが、大化の改新の前夜乙巳の変に
おいて討たれ、その後蘇我氏が凋落するきっかけとなった。
中大兄皇子
天智天皇(てんちてんのう / てんじてんのう、推古34年(626年)-
天智天皇10年12月3日(672年1月7日))は第38代天皇。
和風諡号は天命開別尊
(あめみことひらかすわけのみこと / あまつみことさきわけのみこと)。
「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、
「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。
漢風諡号である「天智天皇」は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に
淡海三船によって撰進され、「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から
名付けられたと言われる。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/28/Soga_faminy_tree.svg
WIKIより 参照。
このように2人 蘇我入鹿 中大兄皇子(天智天皇) の関係を系図で見てみると
蘇我入鹿は蘇我馬子の孫 中大兄皇子は蘇我馬子のひ孫の旦那。
蘇我入鹿はいとこの子供の旦那から暗殺されたことになる。
しかし、この系図8代から43代天皇まで載っているが、その間の代はいくつかは
のっていないので、この時代は天皇の継承も目まぐるしく動いてるのが見れますね。
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