意思と能力の関係 〜止められても良し、止まんなくても良し〜 | のび太のプロデュース!

意思と能力の関係 〜止められても良し、止まんなくても良し〜

はずかしい過去を暴露しちゃおう。

中学時代、美術系の高校を目指そうとしたら、親に止められた。
止めてくれてよかった。

授業中に描いた自分の絵が海外の学校に送られて調子に乗っていたんだけど。どう考えたって画力が幼稚園レベルだし、絵を描くのが好きなわけでもないので。ちなみに、私がコンサル中に書く絵は、10人中10人が笑う。どんなに落ち込んでる人でも笑わせる自信がある。あまりに下手過ぎるから。なお、私が通っていた学校は中高一貫校だったから、特に高校受験の必要はなかった。でも、このままこの高校に劣等生のまま在籍し続けることが嫌だったんだ。中学2年生の時に先生と合わなくて、数学の成績がガタ落ちしてしまった。偏差値でいうと25までいった。それから、私の数学との格闘が始まる。

高校時代は、日本の農業を救いたいなんて思い、農学部のある大学を目指そうとした。
それも親に止められた。止めてくれてよかった。

「あぶない化粧品」という本を読んで、自然な農業の実現に情熱を燃やしてみたんだけど、どう頑張っても数学の点数は伸びなかった。センター試験の点数はボロボロ。たまたま試験に失敗したんじゃなくて、実力が全然届いてなかったんだ。結局農学部はどこも受けられなかったけど、私大の文学部で心理学を学び、今では多いに役立っている。菌類の勉強は趣味で細々と楽しんでいるし。

その後、文学部から無理して理系の研究室に進んだ私は、就職する時にSEを目指した。
反対されたけど、止まらなくてよかった。

シリコンバレーに憧れ、技術力を兼ね備えたマネジメントの達人になりたかった。これは、心理学と技術の両方を学んだ私の強いこだわりだった。お前の能力じゃやめた方がいいと先輩に止められた。でも、止まらなくてよかった。憧れのアメリカ系の大手通信会社に入社。半年間みっちり勉強させてもらったら、私なんかでも通信の仕組みが理解できた。おまけに最優秀新人賞の金時計なんてもらってしまった。数学は苦手だったけど、技術の方は何とかなったみたいだ。幸いなことに、今では数学への負い目は全くない。ここまで何年かかっただろう・・・。

大事なのは意思なんだと思う。意思が弱ければ能力の問題は大きな壁に見えるし、へこたれない意思があれば少しずつでも壁を登っていくことが可能だ。もちろん、長期的なスパンで見たらってことですよ。いま現在能力が足りなければ、試験に落ちるかもしれない。でも、長い時間をかければ、少しずつ壁を登り、自己ベストを更新していくことができる。

人からちょっとダメだって言われたくらいで簡単にへこたれてしまうなら、そこで試合終了だよ(安西先生風に)。自分は頭悪い・・・とか決めつけてしまったらもったいない。たとえ向いてなかろうが、何年かかってでもチャレンジしてみたいと本気で思えたら、それなりに能力は磨かれるんだと信じている。

ちょっとFacebookで話題にさせていただいた「地頭の良さ」についても同じ。地頭っていうくらいだから、もともとの素質の要素が大きくて、トレーニングすれば誰でもすぐに良くなるというようなものではない。そこでがっかりして考えることをすぐに諦めてしまうのか?長い時間がかかったとしても考える力を鍛えていきたいのか?続けていくならきっと、自己ベストを更新し続けていくことができる。

本気ー?