「生きろ」 | ああいえBAR 旧館・支那竹銀座より

ああいえBAR 旧館・支那竹銀座より

「支那竹銀座」はラーメンズ小林賢太郎さんに名付けてもらいました。
負け犬というよりバカ犬。飼い主には従順素直。
悪そうなヤツや知らない人には、吠えたり噛み付いたり。
エサくれたら恩は忘れません。面白いエンタメを求めて日々彷徨っています。

「中二病」という言葉が

いつ頃から出始めたのか…

 

「中学2年生頃の思春期に見られる、

背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、

思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や

嗜好などを揶揄したネットスラング」

wikiには説明されている。

 

いい歳をして「死にたい」などと言うと

中二病、と言われる。

 

「死にたい」と思う子供が多いという

前提があるからこそ、中二病と括られるのだろうと

勝手に決めつけて生きてきたけれど

ひょっとして、「死にたい」とか、

他人に対して「死ねばいいのに」とか、

一度も考えたことがない、

という人のほうが一般的なの?と

最近、思えるようになってきた。

 

「死にたい、はあるよ。けど、

死ねばいいのに、とか考えたことないよ。

あるわけないよ」と、聖人君子の顔で

友人に言われた時には内心

「本気で?」と書いてマジで?と

心の中で叫んだね。

 

急に真面目な話になるけど、

(今までも真面目なつもりですが)

これだけ格差が広がった社会、

貧困が広がった社会では、

「死にたい」と思う人口って

どんどん増える一方だと思う。

 

でも一方で、「死にたい」という言葉を発する

後ろめたさ、罪悪感、は変わらないわけで

無理して振舞う、が、一番の対処方法になって

しまってはこの世はさらに生き辛いよね。

 

どこかのネットで見かけたけど

学校の先生が「大丈夫?」と聞いて、

「大丈夫です」と答える生徒は

大丈夫じゃないんだって。

本当に大丈夫な子は「え?なにが?」

って言うものなんですって。

 

…話がこんがらがっているわ。

 

とにかく、ここ数日、話題になっていた

小林麻央さんのことは、胸が痛むし

こういう時にこそ、例の罪悪感が

ギュュッと胸を締め付けるの。

 

私が代わりになればよかった、と思うの。

臓器移植する、とかそういうことではなく

神の思し召しとして、というか。

あんな若くて美しくて、夫や姉妹に強く愛されて

姑さんともうまくやってて、仕事も充実してて

小さな子供もいる女性が亡くなるなら、

私のほうが被害が少ない、というか

悲しまれないし、家族もないから問題ないし。

 

十代の頃は、

中二病の症状で「死にたい」と憧れた。

二十代は、個人的にだけど

辛いことが多くて「死のうかな」と思った。

三十代になると、恐怖心が出てきて

「“早く”死ねたらいいのに」と他人任せになった。

四十代に入ると、「いつ死ねる?」…、

もはや願望。←今ココ。

 

自分で手を下すことが怖くなってくる。

自分で死ぬ勇気が持てなくなってくる。

勇気ってなんやねん、だけど。

これが、自分が感じる一番の『老化現象』。

 

ここから先、年を取ればとるほど

死ぬことが怖くなっていって

「いつ死んでもいい」と言いながら

体のメンテナンスにはうるさくなって

病院の待合室で会合を開くのが

楽しみな年寄りになっていくのかな……

 

……さぁ、ジメッとした空気になったここで

一曲、聞いてもらいましょう。

今日発売の関ジャニ∞のニューアルバムから「生きろ」。