ゲンちゃん!
日本ハム→巨人→ロッテ 河野 博文 さんです!
明徳高校から、駒澤大学へ進学。1983年には、春秋季連続東都リーグ優勝を達成。さらに全日本大学野球も勝ち抜き、優勝を果たします。
その後、1984年にドラフト1位で、日本ハムファイターズへ入団します。
入団後は1年目から1軍定着し、8勝13敗。2年目は不調になるものの、
1988年には先発・リリーフ兼任で防御率2.38の好成績で最優秀防御率を獲得します。
順調に中心選手として活躍していた、1990年。
東京ドームでの練習中、フェンスを駆け上がる遊びをしていたところ、バランスを崩し転倒。それがキッカケで、アキレス腱を断裂します。
任意引退となり、1年間リハビリに費やすこととなりました。
しかし!
河野さんは、「任意引退=クビだ。」という意味だと理解し、球団からの連絡をシャットアウトし、実家に帰ってしまったそうです。
その年の10月に当時球団常務であった大沢啓二さんによって、河野が所在不明と公表し、
「河野失踪」と大きく報じられる事態になりました。
その後、無事出頭w
1996年は、シーズン中盤に一軍に上がってからリリーフ専門となり、7月の月間MVPに選ばれます。
39試合に登板して6勝1敗3セーブを挙げ、リーグ優勝に貢献。
セントラルリーグの初代最優秀中継ぎ選手賞を受賞します。
BBM1997のカードでは、このようなイラストカードにもなりました。
名付け親は、日本ハムの先輩投手だった、坂巻 明投手。
なぜ、ゲンちゃんなのかというと、シンプルではありますが、北京原人に似ているからということでした。
1997年には、選手登録名を、ゲンちゃんに変更しようと試みますが、セントラル・リーグから
「ちゃん付けは不謹慎だ」
という理由で却下されてしまいましたw
それでも、当時の巨人 長嶋監督は、投手交代の際にも、「ピッチャーゲンちゃん」とコールするほどで、浸透していました。
1999年にジャイアンツを自由契約になり、千葉ロッテマリーンズへ入団。
29試合に登板するものの、この年限りで引退しました。
引退後は、BCリーグ 群馬ダイヤモンドペガサスのコーチを2年間。
その後は、農業と食品加工会社を営んでおります。たまに、関東近郊のスーパーにて店頭販売もしているみたいです。
今後もゲンちゃんの活躍に期待です!
ちなみに高校時代のニックネームは、「牛」
ゲンちゃんのほうがいいですねw