「過労死」が大学の卒論テーマだった松本が今思うこと。 | 独立・起業系のビジネスブログ「21世紀独立論」

独立・起業系のビジネスブログ「21世紀独立論」

独立直後から売上(利益)を確保し、1年365日、すべての時間を完全自由に活動している松本晃秀が、「会社の看板に頼らず、自らの力で道を切り開き、成果を挙げていくために最低限必要な考え方や価値観、新戦略」などについて執筆している独立・起業系のビジネスブログです。

 

 

 もう、随分前のこととなりますが、

 松本の大学の卒論テーマが「過労死」でした。



 まだ、社会に出る前の私が
 なぜ、「過労死」について書こうと思ったのか、

 今となっては、よく覚えていないわけですが(汗)


 当時、お世話になっていた教授が
 一発オッケー(?)してくれたことだけは

 今でもよく覚えています。(笑)



 みなさまご存知の通り、

 昨今、過労死の問題が改めて「問題」として取り上げられ、
 報道も盛んに行われております。



 さて、この問題について、


 何が理由なのか、
 どこに課題、問題があるのか、

 には、

 様々な見方、考え方があることは
 私も承知していますが、


 私(松本)が
 個人的に思うところを挙げてみますと、


 一つは、

 物事の捉え方(解釈)

 そして、
 それに影響を与える「教育」の問題。


 そして、もう一つは、

 変化に対応すること(適応)と
 そのことを踏まえたマネジメントの問題。



 この二つが、

 中でも大きな理由になっているのではないかと
 思っているのです。



 つまり、

 何かひとつのことが
 理由になっているわけではない、

 ということ。



 少なくとも、いくつかの要素が重なり
 起こるべくして起こっている、


 別の言い方をすれば、

 そのうちの、
 どれか一つの要素を取り除く(解決する)だけでも、

 その最終的な事態(最悪の結果)は
 回避できるのではないか、

 ということなのです。



 例えば、

 あるお店があったとして、


 ある時までは、
 「野菜」が飛ぶように売れていたのに、

 ある時以降は、
 「魚」が飛ぶように売れるようになった。



 すると、

 当然、それぞれの部門における
 「業務量」が大きく変化してくるわけですから、

 当然のことながら、

 それに応じた人員の配置(確保)が
 必要になるのは言うまでもなく、


 それに加えて、

 その人数に応じて

 「マネジメント(の仕方)」も
 異なってくることとなります。



 仮に、

 その業務を3人(内1人がリーダー)体制で
 やっているのなら、

 そのリーダーを中心に、

 毎日、直にコミュニケーションを取りながら
 (お互いの状況を共有しながら)

 仕事を進めていけば良いわけですが、

 その人数が20人、50人となってくれば、
 そうはいきません。



 それぞれの人数に応じた

 「体制」や「仕組み」が必要になってきます。



 そして、

 そのような「体制」や「仕組み」を整えれば
 それで良いのかというと、

 それではまだ不十分で、


 その「体制」や「仕組み」の中で働いているのが
 「人(生身の人間)」であることを十分認識し、

 業務を遂行していくことが重要となるのです。



 つまり、

 そこで働く人、一人ひとりに「感情」があり、

 人というのは、

 その「感情」に大きく左右されながら生きる
 生き物である、ということ。



 もっと言えば、

 その「マネジメント」如何によって、

 そこで働く人、一人ひとりの
 「精神状態」までも(結果として仕事における成果も)が

 大きく異なってくることとなるのです。



 特に、

 業績が良いとき
 (≒目標・予算に届いているとき)は

 まだ良いのですが、


 業績が横ばい、もしくは、下降しているとき
 (≒目標・予算に届かないとき)は、

 特に、この「マネジメント」が
 重要なカギとなってきます。



 つまり、

 そのような時にこそ、
 マネジメント力が求められる(試される)のです。



 ただ、

 何らかの理由で、
 それまではマネジメント(力)の必要がなかった環境、


 あるいは、

 マネジメントなんてしなくても、

 十分に売上(利益)があがっていた
 (会社組織がまわっていた)という場合、


 その環境で、少なくとも一定期間以上を過ごしてきた人が
 (いきなり)マネジメントをする

 ということは、不可能に近い(はず)です。



 また、次に、

 物事の捉え方(解釈)と
 それに影響を与える「教育」の問題。



 誤解を恐れず言ってしまえば、

 人は教育によって、
 「価値観(考え方)」が大きく変わる生き物です。



 つまり、

 「物事の優先順位」
 「重み付けの体系」

 が異なってくるのです。



 昨今の報道では、

 「命より大切な仕事はない」
 という言葉が繰り返し伝えられていたりしますが、

 重要なのは、

 このことを日常で意識(認識)し、活動できること。



 そして、

 その意識(認識)=物事の捉え方

 というのは、

 「教育」によるところが大きい、
 ということです。



 ちなみに、

 ここで言う「教育」は
 非常に広い意味での教育で、

 単に、

 「学校教育」

 などだけを指しているわけではありません。



 例えば、

 「社会通念(社会一般に通用している常識・見解」

 なども含まれます。



 つまり、

 これらをはじめ、その他、様々なことが重なって、
 あるとき「悲劇」が起きてしまう。


 私(松本)は、

 これが実際のところではないかと思っています。



 ちなみに、

 私(松本)は、昨年(2015年)、


 寝食以外のほぼすべての時間を投入して

 キャリ形成に対して真剣に考えておられる
 (あるいは、悩んでおられる)方にお会いし続ける

 ということを行なっていましたが、


 そのお一人お一人がおっしゃったお話からも、

 ほぼ、上に記したような
 ある種の答え(結論?)が見えてきたりします。



 このことを確かめるために、
 お会いし続けていたわけではありませんが、

 結果として、

 このことも(副産物として)見えました。



 いずれにしても、

 サラリーマンとして働く人も、
 独立・起業して働く人も、


 命はもちろん、健康あっての仕事であることを
 しっかり認識し、毎日活動していくことが重要であり基本。



 この当たり前であり重要なことを
 いつの間にか忘れてしまうことがある、

 ということもあわせて認識し、

 私たちは、毎日生きていく必要がありそうです。



 今日は、

 大学の卒論テーマが「過労死」だったことを思い出し、

 私自身がが思うところを
 思うままにかいてみました。