父の最後の日々について① | 走る、走れば、走るとき

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ランニングとウォーキングの専門店 R & Walk 店長のブログです。ランニングとウォーキングの仲間の輪を広げていこうと思います。

今年5月に父の喉頭癌が見つかりました。

滋賀県大津市の病院で検査していただいたところ、もう手術は不可能な末期癌との診断。喉頭がんが大きくなって、いつ呼吸が出来なくなるか分からない状況で、できるだけ早く気管切開(呼吸の為の穴)をする必要がある。余命は3ヶ月から6か月とのことでした。

手術をして、入院するとなると大津の病院までは実家から車で1時間30分くらい。仕事を持っている妹は頻繁には通えない。大阪に居るシゲカンの家からではなおさらで、病人の父を一人病室に置いておくことは忍びない。

信頼できる病院があり、ホスピス病棟を持つ病院も近くにある南大阪のシゲカンの家へ連れてくることにしました。

すっかりあきらめていた癌は、こちらの病院では手術可能との診断。病院が変われば診断も変わります。やっぱりセカンドオピニオンは必要と言う事かと実感しました。但し、危険は伴い、痛みも相当なもの。父がそこまでして延命をして喜ぶものか。家族で相談して、父の遺言もあって、父が苦しむ手術はやめて、当初希望していた緩和病棟(ホスピス)に最終的には入ってもらおうと話が決まりました。

5月末にシゲカンの家から車で15分くらいの巨大病院に入院しました。

そこで気管孔の切開手術をして、それからは声が出なくなってしまい、筆談かシゲカンが作ったアイウエオの文字板を指でさしての会話になりました。

「まんじゅうが食べたい」

「木下(田舎の料理屋)の刺身で酒が飲みたい」

「びわ湖の鮎を食べたい」

「漬物でええからビールを飲みたい」

出来る限り希望に沿いたいと、思いましたが、固形物が喉を通りません。

アルコール類もこの病院では許されません。


入院初日から看護学生のKさんが父の担当になってくれていて、認知症になっている父に毎朝自己紹介をしてからお相手をしてくれていました。

父はKさんに思い出話しをして、昔ヨーロッパ旅行をしたこと、モンブランの景色が素晴らしかったことを文字盤を指で指しながら話をしたそうです。昔の記憶はしっかりしているようです。

五目並べの相手をしてくれたりもしました。

Kさんは五目並べを知らなくて、友達に五目並べを教えてもらって来て父の相手をしてくれていたようです。

父としたらKさんがあんまりにも弱すぎて面白くなかったようですが(笑)。


あるときKさんが「五目並べをしていたら囲われて石を取られました」と言うので、笑ってしまいました。

父は囲碁を、Kさんは五目並べをしていたようです。

父とシゲカンが五目並べをすると99%父の勝ちでした。シゲカンが弱すぎるということではなくて、父が強すぎたのです。

また、覚えたての囲碁をやってみたのですが、シゲカンが考えている間に父は忘れてしまって二手目を打つので、一々注意するのもばかばかしくなりやめてしまいました。


シゲカンが時々見舞いに行くと、父は車いすに乗せてもらって、ナースステーションで看護師さん達と楽しそうに座っていたりしました。あるときなどは、リンママが行くと先生がお話をされている会議に参加していた時もあったようです。


大事にしてもらった巨大病院を退院して、ホスピス病棟を持つ病院へ転院しました。


続きは後日・・・・・・