感情は、自分自身ではなく、
自分の中に何か根拠があるわけではなく、
外側につくり出したイメージに対する反応です。
これって、なかなか「なるほど!」って
理解できないっすよね。
たとえば
ある人にムカつく言葉を言われたとします。
「うざい!」
なんてね。
このとき、意識は
耳で聞くとても不快な音。
キンキンとした神経に障る音
ドロドロと胸をムカつかせる音
を感じています
「うざい」という言葉自体の内容や意味
その独特の波動に対しても
反応しています
相手の、憎々しい表情
目の感じ、口角の歪んだかたちを
視覚は感じています
「うざい!」
と言われた事実に、たくさんのそういった
情報が入っています。
それらの一つ一つに触れたとき
反射的に感情が、ドォオオオーっと
出てくるのです。
しかし、それは
そのような情報(イメージ)として、
すでに知覚してしまっているからなんです。
「口角の曲がったかたち」
↓
「不快・憎々しい」
↓
「不愉快・頭にくる」
というように、視覚で捉えた情報を
自動的に、ちがうイメージにすり替ていく...
このすり替えが、ものの1秒くらいになされるので、
自分でやっていると思わず
自動的に感情は出て来ちゃいます。
だから、感情が自分自身がつくりだしたイメージ
に対する反応だということに
気づけないのです。
そこから脱するには、
五感で感じるものに対して、
もっと自覚的になってみることです。
「ややっ!口が下方に歪んでいるなー」
「これは怒りや不快な感情のサインであるのかなー」
「そのように自分は感じているってことねー」
「あっ!だから、いまわたしもなんか胸がムカつくんだ」
「わたしいま相手の表情に反応しているんだねー」
ってなかんじでね。
「〇〇であると感じているのかなー」
なんて、意識的に観察できると
感情に対して客観的な態度が成長していきます。
すると、そのつど生じる感情に
さほど左右されない心が育ってきます。
感情そのものは成長しないですが、
感情に対する心構え、態度は
育てていくことができるのですよ
感情が自分だ
というのはまやかしです。
感情は自分を代弁しているわけでも
自分を表しているわけでもないのです。
イメージの刺激に対する、反射です。
ってなことを知っているだけで
ちょっとね、感情を観察できるような
意識が育っていくのだと思います