母校に恩返しを
え~・・・・QPは14歳からゴルフを始めまして、いとも簡単にあっさりハマってしまったワケで・・・
もちろん最初は上手く打ちたい!って思って必死に練習していたワケですが生来の要領の良さ・・・じゃないな怠け癖っていったほうが早いでしょうか?コレってスイングを研鑽するのも大事だけど、もっと道具で何とかならないの?っと思ったのが17歳の頃。
QPのお家はいたって普通の自営業だったもんですから、いろいろ試したくってもクラブはやっぱり高額じゃないですか?だからいろいろは試せないワケでして・・・
行ってましたねぇ・・・学校帰りに御徒町の二木ゴルフに寄って・・・
ショーケースの中にあるトランペットを眺めてる男の子の如くにMTNⅢのPSだとかTPミルズのパターやらを眺めておりました。欲しかったなぁ・・・
ところが同級生には大金持ちのお家の子とかいらっしゃってですね・・・当時メチャクチャ高かったケン・ジアニーニだのタッド・モアだの出始めたばかりのチタンドライバーだのってのをいきなり持ってるワケですよ!ね?
はあぁぁ~・・・羨ましい・・・っと普通なら指くわえちゃうんですが、ソコはガメツイQPさんでしょ?ね?
なんで行きますキャディバイト!って事で、夏休みを利用して地方のゴルフ場に住み込みで一か月近くキャディバイトして、練習しながらお金を貯めてたワケでございます。
その帰りに御徒町で大人買い。
10万円くらいは手持ちで持ってましたねぇ・・・欲しかったマグレガーのパーシモン買ったなぁ・・・木目がキレイだった。
未だに後悔してるのは、当時5万円くらいでスコッティ・キャメロンの前身であるスコット・キャメロンが売ってたんです。
ソレはキャディバイト明けに買える!っと思って喜び勇んで買いに行ったらタッチの差で売り切れに・・・
そりゃしゃ~ないって事でゼブラパターを買って帰ったんですが、アレが買えてたら今頃ひと財産だったかもしれないなぁ・・・っと思い返す今日この頃でございます。
さて、そんな思いをはせておりました高校生時代、私、関雅史はゴルフの名門校に進学しておりました。
名前くらいは聞いた事があるお方もいらっしゃるかと思いますが
日体荏原高校 ←クリック!クリック!
過去、5度の全国優勝を誇るゴルフ部の名門校でございます・・・というか、でしたと言ったほうが正確でしょうか?
現在はほぼ同好会のような様相でして、部員も一名という状態です。
そんな現状を知ったOBや現役の先生方で発足されたのが↓
日体荏原高校ゴルフ部 復活の会でした。
さすがの名門だけありまして、卒業生には超がつくほど有名なお方ばかり!
この復活の会をきっかけにゴルフのOB会が発足したのですが、会長、副会長にはスゴイ顔ぶれが揃いました↓
左から丸山茂樹プロ、西川哲プロ、細川和彦プロ、小山内護プロ、神山隆志プロ、有泉義也プロでございます。
その他でも副会長に伊澤利光プロが名を連ねておりまして、本当に頼もしい応援団が結集いたしました。
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この後に懇親会も催されたのですが・・・・さながら同窓会のような様子でして・・・↓
こちらはゴルフ部の同級生!
みんないいオッサンになっちゃいましたなぁ・・・
QPがゴルフ部にいた時は、部として一番強い時だったんじゃないかなぁ・・・っと思います。
部員数は120名、一軍のレギュラーから5軍くらいまであって、這い上がるのがとっても厳しかった。
みんなで切磋琢磨してた時期があるから、今があるんだと思います。
教えを乞うた山下七郎先生↓
お亡くなりになったのが本当に残念です。
今では考えられませんが、素振り用の木製バットで額を叩かれる事数十回・・・・
パンチは何回くらったか記憶にない・・・ってかソレで記憶が飛んだのか?っと思うくらいに引っ叩かれて育ちました。
でもね、暴力とは違うんですよ。
本当に悪い事をしたと思っていたから、こちらも当たり前と思っていた事。
殴り方っていうんでしょうか・・・ありがたい痛みと思える寛容さが先生にはあった気がします。
だから卒業生は山下先生・・・っていうか愛称はサイパンでしたが、サイパン先生の事を本気で悪く言う人は一人もいません。
そういった当時の荏原高校ゴルフ部イズムが今の子にも伝わったらいいなぁ・・・っと思いました。
卒業以来の久しぶりの学び舎は何だか小さく感じました。
あの頃より大きくなったワケではないんでしょうが・・・こんなに小さかったかな?っと目を細めてしまう事もしばしば。
間違いなく自分のゴルフ人生の原点を作ってもらったこの場所に、自分なりに恩返しをしたい、そんな風に思った春の少し前でした・・・