世宗路のこの建物前はよく通っているんだけど
高宗即位40年称慶記念碑
その名の通り 李氏朝鮮王朝26代王・高宗(コジョン)の即位40周年と
大韓帝国初代皇帝となった記念に建てられたもの
この建物内部に記念碑があるのですが その文字は高宗の息子である純宗(スンジョン)が
書いたものと言われているそうです
道理でひっそりとしているわけだ… (_ _。)
大通りの一角なのに ここだけやけに淋しいんだよね
高宗は 史劇ドラマ「明成皇后」に出てきます
どんな描き方をしているのか大体想像がつくので アタシは観ていませんが (*v.v)。
ただ よくよく考えてみると高宗もまた歴史の波にのまれた一人かもしれません
25代王・哲宗(チョルジョン)には息子が5人、娘が1人いたのですが
息子は全員なくなっていて後継者がいませんでした
そこで王族でもある興宣大院君(フンソンテウォングン)は
神貞王后(24代王・憲宗の母)に高宗を養子として出し 王位につかせるのです
詳しく高宗の系図を見ると祖先は三男・四男だったりと
本来は王になる位置とはかけはなれていたようです
だからこそ神貞王后の養子にしたのでしょう
神貞王后と大院君の完全な策略ですね
この時 高宗11歳
どこの国でもそうであるように
幼い王の父親として大院君は権力を手にします
鎖国政策を進める彼はキリスト教弾圧も
そう、明洞聖堂 に眠るキリスト教殉教者たちは まさにこの時代の人たちです
しかしあまりにも強引な政策に不満が高まり 後に失脚
代わって実権を握ったのが高宗の妻である明成皇后とその一族です
とは言っても 大院君もそのまま黙っちゃいないんですけどね
オモッ 高宗について書くはずだったのに…
彼の主体性が見えてこないからほとんど書けないわ!
そうそう 高宗の七男である李垠(イ・ウン)は日本の方子さまと結婚されました
亡くなったのは
李垠 氏 1970年
方子さま 1989年
晩年は韓国で静かに暮らしたお2人
そんな遠い昔じゃないんだよね…
この碑を囲む建物は 景福宮(キョンボックン)の勤政殿(クンジョンジョン)を
模して作ったそうです
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