ベニスに死す | Untitled



ベニスに死す(’71)イタリア国旗 フランス国旗


原作:トーマス・マンの同名小説

監督:ルキノ・ヴィスコンティ


次に、この映画を観る時はトーマス・マンの原作をじっく~り読み込んでから挑もうと決めていた作品。 

気になった頁に付箋ペタペタ貼りつけたりして、三回も繰り返し読んでしまいました(早く観なよ) 
                                
ただ、ダーク・ボガードはヴィスコンティの命で原作を三十回、読み込んで撮影に挑んだらしい。

そして、見事に映像化したヴィスコンティ。 大手ワーナー・ブラザーズ出資による製作でしたが

中堅どころの映画会社であれば、ヴィスコンティによって、ものの見事に潰されていたことでしょう(笑)



“アシェンバハは驚嘆しながら、この少年の完璧な美しさに気づいていた。”

“自然の世界にも芸術の世界にもこれほど成功した作品は
                       見たことがないと思ったほどであった。”
  原作より

原作に描かれた話は、トーマス・マンの実体験に基づいていて、夫人を伴ってヴェネツィアへ訪れ

ホテルに着いたその日にポーランド人一家と出会い、完璧な美しさをそなえた少年を見い出す。

トーマスは、まだ28歳と若い奥さんそっちのけで美少年に見惚れていたらしい。

その後、イタリアに伝染病が広がっている噂が広がり、マン夫妻はいち早くドイツへ帰国した。

しかし、物語のグスタフ・アシェンバハは、病めるヴェネツィアに留まることを選択する。

後ろ髪を引かれる想いでベニスを後にしたトーマス・マンの願望が、この小説を生んだのかもしれない。



“アシェンバハはこの少年の神々しいまでの美にまたしても驚嘆した。いや、愕然とした。”

トーマス・マンの原作をヴィスコンティが映画化するにあたり、すべては “愕然” としてしまうぐらい

完璧な美しさを持った “タッジオ役” を見つけ出すこと。 このキャスティングを見誤ると

稀代のマエストロを以ってしても、ダーク・ボガードの白塗りの顔に失笑するだけの駄作となってしまう。

ヴィスコンティ本人が欧州各国を回りながら、スウェーデン人のビョルン・アンドレセンを

見つけ出すまでの過程を、ドキュメンタリー『タッジオを探して』 で見ることが出来ます。 

原作の中で “言葉は官能的な美を称揚することはできても、再現することはできない。”

と老いた芸術家の苦悩を表していましたが、ヴィスコンティは映像で “官能的な美” を再現して見せる。

  ※『タッジオを探して』は、紀伊国屋書店版『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に収録されています。



“この夫人の態度は冷ややかで威厳をたたえていた。

~中略~ 姉弟たちはさっと立ち上がった。みな身を屈めて母親の手に接吻した。”

映画の中心から一歩引いた位置にいながら、しかし、欠くことが許されない存在だった

タッジオの母親役のシルヴァーナ・マンガーノ。 彼女はヴィスコンティが抱く母親像でもあった。

7人生んだ子供たちの中でとりわけルキノ少年を愛したという母ドンナ・カルラ。

ヴィスコンティ自身も「最愛の人」と語り、彼が愛した最初で最後の女性だったのかもしれない。

ヴィスコンティ作品の女性たちは、当然のごとく「最愛の人」と重ね合わせられる。

シルヴァーナ・マンガーノに対しヴィスコンティは、こんな言葉をかけている。

「単に少年タッジオの母親役というだけじゃなく
                 君は私の記憶の中で常に母と結びつけられるだろう。」



“自分からほど遠くないところにいる高貴な人間像を守るために
                          たえず見張っているというように


~中略~ 美をもっている人に対して抱く感動的な偏愛が彼の心を満たし動かしていた。”

老いた芸術家アシェンバハの行為は、ある種 “覗視症的” でもあります。

愛する人を見つめ返されることなく、見つめていたい・・・・・・あれ?どこかで聞いた言葉。

以前 『欧州覗き映画における見つめる行為の官能性』 という題名だけは格好いい記事を書きましたが

最も重要な作品をエントリーさせていなかったことに、嗚呼、後悔先に立たず汗2 

今から “「ベニスに死す」における見つめる行為の官能性” に切り替える?(笑)

ただ、ダーク・ボガード演じる作曲家(原作は小説家)は、見つめ返されることなく

タッジオを見つめていたいのに、結構な頻度で彼と視線が合ってしまう。

時には、微笑みかけてくるような表情を見せるんです。アシェンバハは屈辱のあまり崩れ落ちてしまう。

「そんなに微笑してはいけないのだよ」 そして 「ぼくはきみを愛している」



コレラが蔓延して消毒剤が撒かれ、死者の汚物が燃やされる病んだヴェネツィアの街を

家庭教師に引率されながら姉や妹とともに歩くタッジオ。彼だけは病んだ世界で美を保ち続ける。

アシェンバハは一定の距離を置きながら、彼らの後を追い“愛する人”を目に焼きつける。

この光景に、ふと 『シルビアのいる街で』 で、シルビアを追い求める男性の姿と重なった。

どちらも、“視線の映画” “見ることについての映画” であるということ。

『欧州覗き映画における~』の時にも書きましたが、『シルビアのいる街で』の解説で

“「見ることについての映画」 は 「映画というものについての映画」 となっていく”

考えるにトーマス・マンの原作は、より映画的な側面を持った小説なのでは?


原作小説は集英社から出版された文庫本を読んだのですが、文庫化される前は

「ヴェネツィア客死」 というタイトルだったらしい。 こっちの響きも悪くない。




ただひたすらに美しい、愛と死の一大交響詩。
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