9月1日の京都御朱印巡りの続きです。

今回、お参りしたお寺は2年ほど前から気になっていたお寺です。

そしてお寺の開山は、大学時代の記憶と結びついた人物だったのです!

 

2年前の夏、便利な本に出会いました。

「京都乗り物案内」です。

その本で御朱印巡りの検討中、洛西方面の地図を見ていました。

そして、あるお寺の名前に目が留まり、記憶は大学生時代へ!

 

 

目に留まったお寺は、花鳥館と鈴虫寺との間!

最福寺(延朗堂)とあります!

“ 延朗 ” という名前に、大学時代出会っていたのです。

 

大学の授業時間は長く、授業が空くと、次の授業まで長いわけです!

この空き時間を有効に使うため図書館に入り浸っていました。

歴史好きの自分が読んでいたのは「尊卑分脈」という家系図の本。

この本で延朗上人の名前・出自などを知っていたのです。

 

 

系図を見ると、江戸時代の徳川家光以降の長子相続という考えなら、延朗上人は源氏の直系なのです。

上人の時代、嫡流・正嫡は「実力」なのですが。

 

ということで、大学時代の記憶、源氏贔屓な歴史好き、御朱印巡りが合体して、この日の予定に組み込むことに!

 

月読神社の前の道を南へと進みました。

目印にしていた建物は花鳥館。

 

 

花鳥館の手前を東に進みますと、延朗堂を管理している西光寺に!

自分は南に進みました。

多少のカーブは有りますが、基本は前進です!

 

 

月読神社から徒歩約4分で到着です。

ちなみにこの道を真っ直ぐ進むと鈴虫寺です。

自分は鈴虫寺の手前のこのお寺が目的地!

 

 

一見すると民家風です。

“ いわゆるお寺のイメージ ” で歩いていると、通り過ぎてしまうかも・・・です。

 

 

洛西観音霊場番外札所でした。

 

 

ガラスが反射して、お堂の内部はハッキリ見えません。

残念でしたが、手を合わせてお参りしました。

御朱印は、お堂左脇の御朱印箱の中に書き置きが用意されていました。

御朱印代は賽銭箱に納めました。

 

 

頂いた由緒書きには、如意輪観音と延朗上人の写真がありました。

それを拝借。

 

 

如意輪観音菩薩は、最福寺に祀られていた観音様です。

仏像の制作年代は不明です。

しかし、大伽藍のお寺の仏像だったわけですから素晴らしいです!

お堂内部を拝観させて頂きたいものです!

 

 

開山の延朗上人像は、鎌倉時代の作です。

 

 

延朗上人は、八幡太郎の名で知られる源義家の曾孫です。

祖父・源義親は謀反を起こし追討される身になり、源氏の家督を継げませんでした。

 

 

再び家系図ですが、これは由緒書きにあったもの。

一般的にはこのように信じられています。

最近の研究では、頼朝の祖父・為義は、義親の子ではなく弟という声が上がっています。

古い家系図にはそうなっており、そう考えた方が実際の家督相続結果の説明が付きやすいのです。

頼朝・義経兄弟と延朗上人は、八幡太郎義家の曾孫同士だった可能性が高くなってきたのです。

まぁ、どっちにしても頼朝と上人は血縁関係にあるのですが。

 

俗名・源義實は、幼くして父母を亡くし、15歳で出家しました。

三井寺や比叡山で修業し、天台密教を極めます。

平治の乱後、30歳の時、源氏ゆえに平清盛の迫害を受け各地を遊歴。

故郷のお寺を再建。

武蔵国師岡熊野神社では、高倉天皇の命により雨乞いを行い、三日三晩雨を降らせました。

また奥州松島の廃寺に入り再建を果たします。

47歳の頃に帰京し、松尾山麓に壮大な七堂伽藍の最福寺を建立。

太平記には最福寺の規模の大きさや荘厳な模様が描写されています。

鎌倉時代には、源義経から領地の寄進を受けます。

義経失脚後、幕府に返却を申し出ましたが、今まで通り所有を認められました。

 

上人にはこのような霊験譚があります。

松尾大社の神主が両目を患い失明しようとしたとき、「鷹狩をやめるなら」ということで、加持念誦すると両目は回復しました。

また上人は、村人に免租を施したり、流行病の治療を施すなどをして民衆救済に努め、松尾上人として尊敬を集め、79歳で亡くなりました。

 

その後、兵火により大伽藍は焼失し、再建されることはありませんでした。

江戸時代、霊元天皇の最福寺行幸があったことで、上人の遺徳を偲ぶことができます。

現在は再建された延朗堂のみです。

 

 

「さしのべ観音」と隣の宝篋印塔は、延朗上人800回大遠忌を記念して平成17年に建立されました。

宝篋印塔には、延朗上人の墳墓を築いたとされる峰ケ堂法華山寺跡の土と宝珠が埋めてあります。

 

 

毎年6月中旬から7月中旬にかけて「あじさい祭り」があります。

境内には色とりどり多種のあじさいがあり、散策を楽しめるようです。

 

また延朗上人の法要とともに催しをされています。

今なお延朗上人の遺徳がしのばれています。

 

 

そして最後になりましたが、洛西観音霊場番外の御朱印です。

書き置きですが、自分には嬉しい御朱印となりました。

 

『 延朗上人 』

 

 

お寺の名前は、最福寺延朗堂ではなく、管理されている西光寺になっていました。

松尾大社・月読神社・鈴虫寺まで行かれた方は、少し足を伸ばして最福寺延朗堂まで行かれては如何でしょうか。