某音楽学校で一緒に働いている人に宇宙戦艦ヤマトのDVDボックスを借りました。


僕は凝るととことん凝るたちなので、これを機会にいろんなことを調べてみた。


この宇宙戦艦ヤマトのボックスセットは、初放送当時の状態をできるだけ再現したというもので、再放送の時にはNGとなったものもボーナストラックとして収録されている。


宇宙戦艦ヤマトが初めて放送されたのは1974年。



この時代はまだまだアニメ創世記であり、テレビ業界もいろんな方面に気を遣っての放送だったらしい。


例えば、初放送の後、ボツとなってお蔵入りしたものは



戦艦大和が第二次世界大戦に参加したシーン・・・を再現した時にBGMには軍艦マーチが使われていたが



戦意高揚、戦争を煽る・・・・・として再放送からは軍艦マーチではなく宇宙戦艦ヤマトの主題歌に変わっていたり・・・・・・。



そもそも、日本でアニメがブームになったのは、今まで作っていた怪獣もの・・・・例えば「ウルトラマンシリーズ」や「ゴジラシリーズ」などが


ベトナム戦争、オイルショックの影響で予算の確保が難しくなり



実際に着ぐるみを作らずに絵で済むので低予算・・・だったことから


徐々にアニメの制作本数が増えていったのだという。



そして、このブログを書いている12月8日・・・・はヤマトの第10話が放送されていたようで、


僕は1974年12月8日の日曜日19時半・・・・・という時間にタイムスリップをしてみようと試みた。



この日は裏番組に「アルプスの少女ハイジ」があり視聴率はそちらに取られていたようだ。


第10話の話の概要は外宇宙に旅立つヤマトが地球との通信ができる最後の機会になり、乗組員たちが各々地球の人々に別れを告げ、必ず帰ってくる・・・・という約束をするというものだが


乗組員の数が多く、通信には制限があるために


「まだ話したいことがいっぱいある・・・・」と取り乱す人がいたり


家族がいないので通信せず砂嵐の画面をただ眺めるものがいたり


子供番組とは思えない演出だ。


そもそも『宇宙戦艦ヤマト』といいながら


ヤマトが実際に宇宙に旅立つまでに3話もかかる・・・と言うあたりが


子供にはじれったいことこの上ない。



宇宙戦艦ヤマトは、その設定が二転三転とし、最終的に落ち着いたのが今のバージョンであるが


最初は、地球の代わりに住める星を求めて小惑星型の宇宙船に3万人の乗組員が乗って旅をする・・・というとんでもないものだったらしい



それが監督に松本零士さんが決定したことで、最終的な形に落ち着いたとのことだ。


余談をもっと挟むと


宇宙戦艦ヤマトのモチーフとなったものは西遊記で


ありがたいお経を天竺までもらいに行く・・・・・というストーリーを


イスカンダルまでコスモクリーナーをもらいに行くという風にしたのだ。



そして、ヤマトの乗組員は新撰組がモチーフになっている。


ヤマトの艦長は沖田艦長、ヤマト2で出てくる艦長(のちにアンドロメダの艦長になる)は土方艦長だし、斉藤始という戦士が現れる。


そして、あのヤマト乗組員の制服をよく見ると袖と足にだんだら模様が入っていて、新撰組の隊服がモチーフになっていることが見て取れる。



さて、話を戻すと裏番組の「アルプスの少女ハイジ」が1974年12月29日に最終回を迎え


更に恐ろしい裏番組をフジテレビはぶつけてくる。


宇宙戦艦ヤマトの裏番組として1975年1月5日に始まったのは


「フランダースの犬」


視聴率ではとうていヤマトは敵わず、番組が26話で打ち切りとなる。


日本の歴史を変えたアニメとして語り継がれるヤマトも本放送ではなく、再放送から火がついたのだという。



これは後のガンダムやエヴァンゲリオンもおなじ。


本当にいいものを理解しようとすると、時間がかかるといいうことだろう。


そして、本当にいいものは残っていき、そうでないものは消えていくのかもしれない。



奇しくも実写版のヤマトが封切りされた時期にこのDVDボックスを借りたというのも何かの縁かもしれないな。


しかし、擦り切れてセル画の傷が光ったところも修正されていないこの作品は


まさに1974年~1975年を閉じ込めたタイムカプセルのようなものだ。