皇太子が天皇になるため、そして天皇が天皇であるために大麻が必要である | 天下泰平

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平成30年11月に大嘗祭を挙行へ 通常国会で法整備不可欠に
天皇陛下の「お気持ち」ご表明を受け、政府は、天皇陛下から皇太子さまへの皇位継承に伴う重要な儀礼である「大嘗祭(だいじょうさい)」を平成30年11月に執り行う方向で検討に入った。準備に1年近くかかるため、来年(29年)の通常国会で皇室典範改正を含む法整備を行わねば間に合わなくなる。17日に始まる有識者会議でも論点の一つとなる見通し。

 天皇陛下は8月8日に公表された「お気持ち」のビデオメッセージで「2年後には平成30年を迎えます」などと語り、在位30年を節目としての「生前退位」をにじませられた。

 退位に伴う皇太子さまへの皇位継承でもっとも重要となる大嘗祭は、天皇が即位後初めて行う新嘗祭を指す。その中心的儀礼である「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」では、天皇が「悠紀殿(ゆきでん)」と「主基殿(すきでん)」で自ら新穀を供え、神々とともに食し、五穀豊穣に感謝するとともに、国家・国民の安寧を祈念する。これにより「神格」を得て完全な天皇になるとされる。

 この前に行われる「即位の礼」は、皇位継承を内外に示す国事行為で、外国王室の戴冠式にあたる。

大嘗祭の時期は、戦前に皇位継承に関する法令を定めた「登極令」(昭和22年廃止)に「即位ノ礼及大嘗祭ハ秋冬ノ間ニ於テ之ヲ行フ」とある。天皇陛下が平成2年11月22、23両日に大嘗祭を執り行った際も登極令を踏襲された。

 大嘗祭を行うには、新穀を育てる特別の水田(斎田)2カ所を準備する必要があり、同じ年の2~3月に亀卜(亀甲を用いた占い)で斎田を決める「点定の儀」が行われる。

 斎田は京都以東から「悠紀田」を、京都以西から「主基田」をそれぞれ選定する。平成の大嘗祭では、悠紀田が秋田県五城目町で、主基田は大分県玖珠町で選ばれた。

 天皇崩御を受けて、皇太子が即位する際は、崩御直後に三種の神器を受け取って即位(践祚)し、1年間喪に服す。即位の礼や大嘗祭の準備を進めるのは喪が明けた後となる。このため、大正天皇の即位の礼と大嘗祭が営まれたのは大正4年11月、昭和天皇の即位の礼と大嘗祭が営まれたのは昭和3年11月だった。

 現行の皇室典範は連合国軍総司令部(GHQ)占領下の昭和22年、大幅に改ざんされ、皇室の主要儀礼は憲法20条(政教分離)に抵触するとして国家から切り離された。

 このため、平成の即位の礼に際し、海部俊樹内閣(当時)は平成元年12月の閣議口頭了解で、大嘗祭を「皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式」としながらも、国事行為ではなく皇室行事とする見解を示した。大嘗祭の費用も皇室活動に伴う公的経費「宮廷費」から支出された。

 宮内庁によると、平成2年11月12日に皇居で行われた「即位礼正殿の儀」には、約160カ国の祝賀使節を含め内外から2480人(うち外国人474人)が参列した。大嘗祭では22日の「悠紀殿供饌(ぐせん)の儀」には727人、23日の「主基殿供饌の儀」には520人が参集した。(転載終了)

今年の7月13日に突如始まった天皇陛下の「生前退位」のリーク。

宮内庁は全否定しながらも、翌月8月8日には、陛下の「お気持ち」を表明したビデオメッセージが公開され、本格的に「生前退位」の流れが動き出した2016年夏至明けの夏でしたが、10月に入ってまた状況が進展し、ついに皇太子から天皇へ即位する最も重要な儀式の「大嘗祭(だいじょうさい)」の時期までが発表されました。

2018年11月。つまり平成30年の11月に大嘗祭が行われる方向性となっています。

通常、大嘗祭といえば天皇陛下が崩御された後、元号も変わり、その後に皇太子が本当の意味で神と一体化して天皇へと即位するものなので、これまでのケースだと再来年に大嘗祭をやるとなれば、本来であれば今年から来年くらいの時期には元号が変わっているはずですが、今回は生前退位という近代においては珍しいケースの天皇の交代となるので、先に大嘗祭、その後に元号の変更などもあるかもしれません。

今の時点での報道では、この皇太子が天皇へ即位するために必須の儀式である大嘗祭で重要なのは「五穀豊穣」を感謝することであり、そのために大嘗祭専門の田んぼで新穀を作って食すことが完全な天皇になるための祭祀の1つとしてありますが、実際はこれだけでは天皇としては半人前であり、新穀(お米)と一緒に必須となるのが「大麻」であります。

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それが通称「麁服(あらたえ)」と呼ばれる大麻の織物であり、麁服用の大麻を作るために徳島県の指定された場所で大麻栽培が始まります。

この大嘗祭における麁服作りを全面的に任されるのが、阿波忌部族直系の「三木家(みきけ)」です。

どこの地方の誰が作った大麻の麁服でも良いわけでなく、太古の昔より朝廷が指定するのは、必ず徳島の三木家が作った大麻の麁服である必要があります。

阿波忌部族とは、大和朝廷建国にも関わった古い氏族であり、農業を中心とした産業技術を持った職人を引き連れた集団で、日本全国に散って大麻を普及させたことでも知られています。

また、大化の改新まで大和朝廷の宮中祭祀を司った一族でもあり、その中で天皇家に古くから伝わる大嘗祭の麁服もすべて阿波忌部族が担当していました。

この阿波忌部族の直系であるのが三木家であり、明治維新後も天皇が即位する度に皇室へ大嘗祭の麁服を調製し・ 調進(供納)しています。

今回はどういった経緯で三木家に通達が来るのかわかりませんが、通常は天皇が崩御され、次期天皇が決まって年号が変わり、それから三木家では大麻の種まき、収穫をして手作業で麁服を作り上げて皇居まで届けます。

ここ2年間ほどで、せっかく大嘗祭のことが話題となってくるでしょうから、このタイミングに大嘗祭には大麻栽培と大麻の織物が必要であること、それが古代より日本の伝統となっており、皇太子が天皇になるため、そして天皇が天皇であるために大麻が必要であることを日本人の多くの人々が正しく理解してもらえたらと思います。