2つの日本 | 天下泰平

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〜 滝沢泰平 公式ブログ 〜

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さて、一部で“魔の水曜日”と囁かれた本日2月11日も、案の定何も起こらずに終わりましたが、今日は記念すべき祝日「建国記念の日」です。

初代天皇である神武天皇が即位してから、皇期2675年となる日本誕生をお祝いする日。

全国各地で神社参拝などに行った方も多かったのではないでしょうか。

ところで、そもそも「日本」という呼び名が、一体いつ頃から誕生したかについては、はっきりと答えられる人は日本人の中でも少ないかもしれません。

昔の日本といえば、村のような小国の集合体であり、当時の外国から“倭国”と呼ばれていて、その中心は九州地方の“邪馬台国”であったとか、それらの小国がすべて統一された最初の王朝が“大和朝廷”であり、今の日本は、その大和朝廷の流れを汲んでいるとか・・・。

「では、一体いつから日本と呼ばれたか?」

これについては、実は今から30年も前の1985年に、NHKで日本の歴史を考察する番組が放送されていて、その中で中国の「新唐書」という11世紀頃に書かれた書物から、その謎の手がかりを解くヒントを取り上げていました。

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日本列島の中の二つの国(NHK歴史ドキュメント①)
(前略)
中国では、日本は倭国という名前で知られてきた。ところが唐の時代になって、日本から遣唐使が中国に行くようになると、彼らは自らの国を「日本」であるというようになったのである。しかし、中国もかつて倭国といっていた国が、なぜ日本と称するようになったか不審であったとみえ、いろいろ調べた。そしてまず、「日本は昔の倭の奴(な)の国である」と記したうえで、なぜその名前が変わって日本となったかについて、次のように説明している。

「日本は倭という名前が卑しい名前であるのに気づき、日本というようになった。使者のいうところでは、国が日の出る所に近いので日本を名としたという。また、もともと日本という小国があったが、倭はそれを併合してしまい、自ら日本と称するようになった

つまり、いまの日本はもともと倭の国であり、それが日本という小国を併合してその名前をとってしまったというのだ。そうすると、この日本列島の中に二つの国があり、その一方の国がもう一方を滅ぼしたことになる。(転載終了)

これによると「日本は倭国から日本になったのだけど、そもそも倭国は昔にあった“日本”を吸収して倭国になった」と書かれています。

「日本 → 倭国 → 日本??」

ややこしいことに、ここで出て来る最初の「日本」と後から出て来る「日本」では、名称は同じでも、それぞれは全然違う別の国家となります。

正確には全然違うというより、最初の日本を仮に「小日本」とするならば、後からの日本は倭国と小日本が合併した「大日本」であり、完全に別の国とは言い難いのでしょうが、ただ「小日本」の領土(ヤマト)と名前(ニッポン)は「大日本」に吸収されましたが、王族や国民の多くは、大日本(倭国)によって滅ぼされる、追われるような状況にあり、大日本の表向きの姿は「日本(大和朝廷)」ですが、実際の中身は倭国、つまりは邪馬台国といっても良いのかもしれません。

それはさておき、問題は倭国よりも前に、すでに“日本(小日本)”という名称の国が大昔の日本には存在していたことであり、この日本については、中国の古書には出て来るのに、学校の教科書はおろか、日本の正統と呼ばれる古文書にも一切記されていません。

「では、一体この“日本(小日本)”とは何なのだ?」

となると、ここでキーワードとなるのが「出雲王朝」「出雲族」という存在であり、そして何よりも「物部氏」「ニギハヤヒ」という登場人物達が関わってきます。

その詳細を語ると長くなるので、ここれではお伝えしません。

ただ、忘れてならないのが「歴史は勝者がつくる」という言葉、むしろ法則であり、どんなに偉大な国や王が過去にいたとしても、敗者となった時点で敗戦国や敗者は歴史から姿を消されることになります。

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もともとヤマトの地を治めていた日本という国家があり、その日本を西からやって来た別の国が新たに治め、その新日本の誕生によって旧日本の人々はヤマトの地を追われ、向かった先は、東へ東へ東北(艮=うしとら)の最果てへ・・・。

「日本中央の碑」という石碑が、なぜ本州最北端の青森県(東北町)にあるのか、表向きの史実しか知らない学者には謎のままでしたが、この日本を現在の日本と捉えてしまうと意味が不明であり、これが過去に存在していた今の日本とは別の日本だと知ると、色々な謎が解けてきます。

なぜ、日本の歴史上で文化の中心は西日本、現在でも首都は東京で、東北の地は昔から日本の食料庫としての位置づけで文明の発展が制限されたのか、なぜ、311の地震が東北で発生したのか・・・。

とはいえ、もう統合の時代。あらゆる過去は大でも小でも水に流し、キレイさっぱりに今を大切に生きることが希望の未来へ繋がると言われています。

2つの日本も、今ようやく本当の意味で1つとなって、これから世界をリードするための日本となってスタートしようとしています。

建国記念の日。どの時代の日本を知っていようといまいと、現在の日本がどの日本の流れだろうとも、過去の歴史がどうこうを動機として愛国心を持つのではなく、今この国にいて、単純に自分の国が好きならば、その“今”の国を大切に想う気持ちが重要だと思います。

今大好きな奥さんがいたとして、ある日に、その奥さんの過去が売春婦や風俗嬢だったことを知ったら、いきなり嫌いになる、別れるのは過去に囚われ過ぎで今を生きておらず、今を本当に生きるのであれば、どんな過去を知った上でも今、目の前に愛する人がいれば、すべてを包んでそのまま愛することが今を生きて希望の未来へ繋がるものだと思います。

個人的には、右翼だろうと左翼だろうとも、この地球を大切に想う人ならば、誰でもみんな同朋だと勝手に思って仲良くしています。

でも、やっぱり日本という国も好きなので、この国がより良くなっていくことを常日頃心より願っております。