「幽霊繁盛記」「六人の女を殺した男」を観て | パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

ラピュタ阿佐ヶ谷

稀代ノエンターティナー!フランキー太陽傳 より

 

幽霊繁盛記

 

製作:東京映画

監督:佐伯幸三

脚本:出雲直

撮影:伊東英朗

美術:小島基司

音楽:松井八郎

出演:フランキー堺 香川京子 柳家金語楼 有島一郎 森川信 左卜全

        東郷晴子 大村千吉 和田孝 沢村いき雄 若宮忠三郎 石田茂樹 長島丸子

1960年7月26日公開

 

葬儀屋の職人・八五郎(フランキー堺)は、夕暮れの墓地を通りかかろうとしたところ、一人の男が首をつろうとするのを目にします。八五郎は止めに入りますが、死神(有島一郎)が現れ、「寿命が尽きたのだから無駄だ」と言い残します。八五郎は医者の杉田玄庵(柳家金語楼)の所に男を連れていくものの、男は亡くなってしまいます。

 

八五郎は以前、玄庵宅の玄関番をしていました。ところが、一人娘のおせつ(香川京子)と恋仲になったため、玄庵に追い出された経緯がありました。そのおせつが嫁に行くという噂が八五郎の耳に入ります。八五郎はおせつと所帯を持つため、葬儀屋の親方に独立の話を持ちだしますが、親方の機嫌を損ね、自力で葬儀屋を立ち上げなければならなくなります。

 

店を開いたものの客足はさっぱりで、おせつの結婚話は進むばかり。ところが結婚前夜、おせつは八五郎の許へ逃げてきます。先行きのない二人が心中しようとしたところ、再び死神が現われます。お人好しの死神は、八五郎にまだ寿命が尽きていないことを話した上で、ある提案をします。死神は寿命のきた人間の後をつけて歩くため、八五郎が死神の姿を見つけたら、商売敵よりいち早く棺桶を担いで、死者の家に行くという寸法でした。

 

ところが、死神は八五郎と親しいご隠居(森川信)を、まだ命のあるのに間違えて死亡と判定してしまいます。困った死神は八五郎に相談して、番茶を薬と偽って飲ませて生き返らせます。その出来事が評判となり、八五郎は忽ち名医にまつりあげられ、葬儀屋から医者への転職を果たします。

 

八五郎は死神の座る位置で、助かるか助からないかを判断し、助かる患者には番茶を飲ませて、あたかも薬を飲んで症状が良くなったように見せかけます。八五郎の商売が繁盛する一方で、玄庵のところに来る患者はめっきり少なくなり、おせつは夫が成り上がりの医者になったことと、父親の名誉が傷つけられることを悲しみます。

 

そんな折、おせつが妊娠をします。八五郎は父親を思う彼女の気持ちを察し、再び元の葬儀屋に戻る決心をします。その矢先、おせつが葬儀道具をとろうとした際、転んだ拍子に腹を打ち、母子共に危険な状態になります。しかも、死神は死者になることを示す枕もとの位置に座るのです。

 

死を見送る葬儀屋と、死の危険から救う医者という真逆の職種を、死神の力を借りて、商売繁盛させるアイデアが愉快。人にはそれぞれ寿命がある真理を用いて、様々な笑いを取っています。何せ、死神の判断次第で生死が分かるのですから、人間の八五郎にやれることは限られています。葬儀屋として死人が出そうな家にいち早く駆けつけるか、医者として助かりそうな患者に番茶を薬と偽って飲ませることくらい。

 

このように運命には逆らえないため、時には因業婆が助かり、婆に苦しめられた娘が自殺を図り、命を助けられない事態も生まれます。その上、因業婆を助けたことで恨みを買う羽目にもなります。こうした世の中の不条理を突いている点も、この作品に惹かれるひとつでもあります。

 

八五郎は葬儀屋に誇りを持っているものの、玄庵からは下賤の職業と蔑まされます。玄庵が八五郎との結婚に反対するのも、職業差別の他に、娘婿が葬儀屋では医者である自分が死人を斡旋しているように思われやしないかと、警戒している面があります。八五郎が医者になったのは成り行きもありますが、医者になって玄庵におせつとの結婚を正式に認めてもらいたいという思いがあります。ところが、八五郎が医者として評判を取るのに反して、玄庵の患者が少なくなっていき、加えておせつも成り上がりの医者になった夫を好きになれず、元の葬儀屋に戻ってほしいとまで思うようになります。

 

良かれと思ってした行為が裏目に出る描写は、八五郎がおせつと所帯を持つ前にもあります。おせつと呉服問屋の跡取り息子との結婚が決まりそうになり、八五郎が葬儀屋の親方に独立の話を持ち掛けるくだりです。親方は八五郎に暖簾分けを考えていたところ、先に八五郎から独立の話が出てしまい、引っ込みがつかなくなり、縁を切る話に発展してしまいます。こうしたボタンの掛け違いから起きる挿話も、物語のスパイスとなっています。このように話の流れや登場人物の心理の動きが、観客にも手に取るように分かるのは、シナリオが良く練られている証拠。いちいち腑に落ちる形で、観る者の心に沁み込んできます。

 

お人好しでトボけた味わいの有島一郎の死神は絶品で、フランキー堺の切れ味のある芝居と好対照を為し、二人の相性の良さを感じさせます。個人的には八五郎最大の危機に、死神の手を借りずに自力で乗り切れば、拍手喝采だったのですが、今までの寿命の描写が上手くいっていただけに、このラストのオチには若干引っ掛かるものがあります。主人公が最後まで死神を翻弄したという意味においては、許容できるものではありますが・・・。

 

 

六人の女を殺した男

 

製作:大映

監督:島耕二

脚本:小國英雄

撮影:小原譲治

美術:間野重雄

音楽:大森盛太郎

出演:フランキー堺 船越英二 岸田今日子 藤村志保 明星雅子 春川ますみ

        万里昌代 久保菜穂子 杉田康 夏木章 村上不二夫 川澄節子

1965年7月31日公開

 

売れっ子抽象画家の阿部健(フランキー堺)は、本来小心で真面目な男なのですが、生まれつきの女好きが災いして、何度も痛い目に遭っています。健の妻の貞子(万里昌代)は、癇癪持ちの上に夫が稼いだお金を一人占めするような女で、そんな悪妻がいる健を慰め理解してあげられるのは、友人の加納哲也(船越英二)だけでした。

 

ある夜、貞子は健と大喧嘩をした拍子に頭を打って死亡します。警察は事故と判断し、健は晴れて独り身となります。ところが、健の行きつけのバーのマダム恵美子(藤村志保)が、押しかけ女房となって健の家に居ついてしまいます。そればかりか、手練手管で健を籠絡させ妻として籍に入った直後、浮気をネタに離婚話を持ち出し、2000万円の慰謝料をふんだくろうとします。健は怒り心頭で恵美子に襲いかかろうとした途端、彼女が激しくドアを閉めたことにより、シャンデリアが落ちて恵美子は即死します。

 

二度も妻を事故死で亡くした健は、温泉場に逗留して世間の垢を流そうとします。そこで彼は田舎娘の千代(明星雅子)と知りあい、彼女を伴って帰京します。純朴そうな千代ならば、結婚しても大丈夫と思ったのも束の間、夫人になった途端千代は、毎日若い男たちと遊び呆けた上に浪費癖も露呈します。しかも、健がお小遣いを制限すると、絵心のある千代は自分が描いた作品を、健の作品と偽って画商に売りつけるという始末。画家としての信用を失いかねない事態に、健は自動車を崖に落として無理心中を図るものの、健だけが一命をとりとめます。

 

健は入院中に看護婦の芳江(春川ますみ)の献身的な介護を気に入り、彼女を四番目の妻として迎えます。ところが芳江は健に毎晩ステーキを食べさせる上、夜の営みも激しさを増します。ある日、健は哲也とゴルフをした際、友人の口から腹上死に見せかけ遺産を奪うミステリーの話を聴かされます。健は妻が秘密裡に夫を多額の保険に加入させたことを考え合わせ、自分を事故死に見せかけて殺そうとしているのではないかと疑惑を抱き始めます。彼は芳江から渡された強精剤や酒を飲む振りをしながら、妻に同じように飲ませて死に至らしめます。今までは不慮の事故死でしたが、今度は健にとっては初めての殺人でした。

 

芳江が死んだ後、健は展覧会で服飾デザイナーのペギー稲葉(久保菜穂子)に会い、彼女からファッションの新作のタイアップの話を持ちかけられます。健の色彩を採り入れたペギーの新作は評判を呼びますが、雑誌社に匿名の投書が届き、健の作品がペギーのファッションの原画を盗作したのではないかという疑惑が浮上します。全ては彼女が有名になるために仕組んだ計画で、健は彼女に利用されたことを悟ります。

 

彼はペギーと和解したように思わせ、彼女を遊園地の観覧車に誘い、あらかじめ用意していた合鍵を使って、ボックスからペギーを突き落して事故に見せかけます。健は事故の被害者として、刑事たちに付き添われ自宅に戻ります。刑事が帰った後、女中の兼子(岸田今日子)が健に思わぬことを話し出します。

 

主人公の健という男を一言で申せば、「懲りない男、学習能力のない奴」これに尽きます。男としては六人の女達に翻弄される健に、ご同情申し上げたいのは山々ですが、他方で美女たちといい思いもしているので、自業自得だよと突き放したくもなります。脇が甘く女につけ入る隙を与えているのも、全てはスケベ心から来ており、自らトラブルを呼び込んでいる感じなのです。

 

健を演じるフランキー堺のあたふたする姿を楽しみつつ、万里昌代、藤村志保、明星雅子、春川ますみ、久保菜穂子、岸田今日子の悪女ぶりも堪能できます。中でも、岸田今日子の能面のように自分の心を一切顔に出さない女中ぶりは、一番怖いかもしれません。“家政婦は見た”状態で、今までの主人公の女出入りを一番把握しており、その上で一番キツい要求を突きつけてきます。

 

健がこの難題をどのように対処するかが、終盤の焦点になってきますが、ある意味、彼が下した判断は強欲な女たちから解放される唯一の解決策のようにも思えます。映画は終始コメディ調のように描かれますが、常に背筋の凍る怖さを秘めている物語でもあります。