左翼はどうしてだめなのか | シイタケのブログ

左翼はどうしてだめなのか

 左翼の定義は難しいが、私は、社会主義・共産主義を志向する人々のほかに、資本主義社会の弱肉強食化を押しとどめ、富の再分配を重視する福祉国家を目指す人々を含め、広く左翼と呼ぶことにしたい。富の再分配や福祉国家を志向することはもちろん望ましいことで、それを左翼と呼ぶのなら世界中の人々に左翼になってほしいところだが、残念ながら、世の中の左翼と呼ばれている人々の中には、必ずしも多くの人を幸せにしない考えを持っている人がいるような気がしてならない。

 そのようなだめな左翼のひとつが、団塊の世代の中のひとつの集団とみてよいだろう。団塊の世代は戦後世代であり、いわゆる反戦教育をしっかり受けてきた。彼らには、安保闘争に象徴されるように、「国家は国民を常に抑圧しようとしている悪である」という考え方が根付いているといってよい。もちろん、彼らの望む社会主義国家・共産主義国家が誕生すれば、その国家の行いはすべて善なのであるが、資本主義国家である限り、国家は悪であり、社会保障給付なども、そんな国家から「奪い取る」権利であり、国家は何をしても「悪い」と考えるわけである。スパイ防止法の反対運動然り、盗聴法の反対運動然りである。それはそれで正当なこともある。

 しかしそのような国家観が、実は先般の「規制緩和ブーム」を支えたのではないだろうか。「民間でできることは民間で」などというスローガンにより、行政・福祉サービスは縮小・民営化され、福祉国家が大きく後退したことは誰の目にも明らかであるが、このような施策を支えたのは、実は国家を「悪」とみて、あらゆる権限を国家から奪い取りたいとする一部の左翼的志向者だったのではなかろうか。また、「地方分権」という無意味なブームも同様であり、権限を国家から地方に移したところで何ら国民にメリットがないばかりか、むしろ悪徳地方議員・地方有力者にこっそり税金をもっていかれる事態になりかねないのに、国家の権限を引き剥がして地方に移す(ようにみえる)ことについて、一部の左翼的志向者は手放しで支持したのではなかろうか。私はこれらの左翼を「ダメ左翼」と呼ぶこととしたい。

 「ダメ左翼」は団塊の世代ばかりではない。正社員中心の労働組合がその典型である。労働組合員は、必ずしも左翼というわけではもちろんないが、労働組合本来の、労働によって生み出した価値を労働者みんなで分かち合おうという精神は、左翼的志向に間違いないであろう。今でこそ連合は、非正規労働者の取り込みを図ろうとしているものの、今でも、各企業の労働組合は、正社員だけが構成員である。かつては正社員といっても生活は貧しく、連帯して行動することに意味はあったが、彼らの生活が向上する一方で増加してきた非正規社員を、正社員労働組合員は、無視してきたのである。なるほど、正社員労働組合員の運動の成果によって、男女の雇用差別が解消したこともあるかもしれない。女性労働者の育児休業が取りやすくなったかもしれない。しかし、それはあくまで正社員の労働者の話であって、非正規労働者は考慮されてこなかったのである。非正規労働者の多くが女性で、まさにここに男女差別・権利侵害があるにもかかわらず、である。つまり左翼の視点が、自分の目に見える範囲のことばかりにとどまっていて、非正規社員の増加という新しい現象に及んでいないのである。及んでいないというより、わざと無視をして自らの利益確保に必死だということもできよう。こんな左翼は本当の左翼ではなく、エセ左翼である。労働者全体で連帯して経営者(資本家)に立ち向かうという本分を忘れ、自らの所属する団体(正社員労働組合)だけの利権の確保に必死な者は、「ダメ左翼」どころか、「労働組合右翼」と呼んでよいだろう。もはや労働者全体の生活の向上は、労働組合の自主性に任せていてはいつまでたっても実現しない。新たな立法で、労働者全体と経営側を対峙・交渉させるしくみが必要だ。

 一部の左翼が「既得権益」だと批判の対象になり、そのせいで福祉国家の理念まで悪者扱いされる事態にならないことを願う。

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