チェット・ヘルムズ (1943~2005) | サイケデリック漂流記

チェット・ヘルムズ (1943~2005)


シスコサウンドの立役者、チェット・ヘルムズ(Chet Helms)が先月25日に亡くなりました。享年62歳。脳卒中だそうです。サンフランシスコの病院で、近親や親しい友人たちに見守られ、さよならパーティのように歌やお話で送られて、安らかに息を引き取ったとのこと。ご冥福をお祈りします。


チェット・ヘルムズはシスコのロックシーンの黎明期から、ビル・グラハムと並ぶプロモーターとして、またジャニス・ジョプリン(ホールディング・カンパニー)らのプロデューサーとしても活躍しました。「彼は真にサンフランシスコのミュージックシーンの心と魂だった。単なるプロモーター以上の存在だった。・・・」と、グレイトフル・デッドのミッキー・ハートが言っています。

そもそもはヘイト・アシュベリーの地下のボールルームでジャムセッションを取り持ったのが始まりで、そのときの常連だったホールディング・カンパニーをプロデュースすることになります。そして、(育った土地)テキサスの大学時代に同窓だったジャニス・ジョプリンをシスコに呼び寄せて、バンドのボーカリストにします。つまり、彼がいなければロックスターのジャニスもいなかったかもしれません。(カントリー・ジョー&フィッシュのギタリストのバリー・メルトンいわく、「チェットがいなければ、グレイトフルデッドも、ホールディング・カンパニーも、ジェファーソン・エアプレインも、カントリー・ジョー&フィッシュも、クイックシルバー・メッセンジャー・サービスも、誰も彼もいなかったかもしれない。」)

1966年にチェットはビル・グラハム(1991年にヘリの事故で逝去)とチームを組んで、Fillmoreでいくつかのショーをプロデュースしますが、その後袂を分かち、ビルはフィルモアを、チェットはFamily Dogの名のもとに、Avalon Ballroomでのショーをプロデュースすることになります(*1)。(ふたりの人となりは対照的で、チェットが「柔」で「アート至上主義」なら、ビルは「剛」で「ビジネス至上主義」。しかし、そのライバル関係は友好的で、終始和やかなものだったようです。)


実は5年くらい前にチェット・ヘルムズはすでに自分の葬式を出しています。チェットが亡くなったという誤報が流れたのに対して、死から蘇るパフォーマンスを行ったのです。彼は霊柩車の棺に収まってゴールドコースト・レストランに乗りつけ、ウェイヴィ・グレイヴィらの友人に抱えられた棺で入店。棺の蓋が開けられると、チェットの胸の上には花々と携帯電話が。その電話が鳴ると彼は起き上がって返事をし、まわりの喝采とフラッシュの中を歩き去る・・・というものだったそうです。

半年前にはスペンサー・ドライデン(ジェファーソン・エアプレインのドラマー)が、昨年末にはテリー・メルチャー(バーズのプロデューサー)が亡くなったりと、ここのところ60sサイケ関連の訃報が続いていますが、サイケデリック元年?の1965年からすでに40年が経つので、自然の摂理というものなんでしょうか・・・。それにしても、40年前の音楽の方が(私にとって)今の音楽よりも刺激的で新鮮に聞こえるというのはどうなんでしょう。なんだか複雑な気持ちです。


*1
経営手腕に欠けていたチェットは、まもなくAvalonからの撤退を余儀なくされ、一時オーシャンビーチの古いスロットカーレース場をFamily Dog on the Great Highwayとしてショーを継続しますが、それも一年足らずで破綻して、1970年にはコンサートビジネスから足を洗ってしまいます。

[Blog記事はSan Francisco Chronicleの記事を参考(引用)しました。]