ウッドストック伝説 | サイケデリック漂流記

ウッドストック伝説


「世の中には二種類の人間がいる。ウッドストックを経験した人としなかった人だ」・・・というようなことを書いていたサイトをどこかで見たことがありますが、60年代文化を生きた人にとってはそれほど大きな意味を持っている出来事なのでしょう。

1969年8月15日、ニューヨーク州ウッドストック近郊のべセルの丘*1)に全米から集まった人々は40万人以上といわれています。イベントの正式名称は「ウッドストック・ミュージック&アート・フェア」(Woodstock Music and Art Fair)。最初はチケットがなければ入場できないはずの有料イベントでしたが、予想をはるかに上回る数のヒッピーたちが早くからつめかけて会場内に自由に入り込んだりしたため、用意したフェンスが意味をなさなくなり、急遽フリーコンサートに切り替えられました。

ほとんどなにもない広大な農地につどった40万の若者が、十分な食糧や衛生設備もないまま、途中の悪天候などに遭いながらも「愛と平和と音楽の3日間」を過ごしたこの巨大イベントが、フラワージェネレーションを象徴する出来事であったことに異論はないと思います。ただ、ウッドストックは60年代のラブ&ピースの最盛・頂点というより、「最期に咲かせた大輪の花」「滅びの前の白鳥の歌」だったというのが大方の見方のようです。そして、その後の「オルタモントの悲劇」(詳細は後日)がフラワー文化への葬送曲となってしまいました。

いまではウッドストックは成功裏に終わった伝説のフェスティバルとして語られ、鑑賞されていますが、ジャック・カリー著の「ウッドストック伝説」などを読むと、その多くが偶然の幸運によるもので、一歩間違えればオルタモントよりもひどい大惨事になっていたかもしれないことがわかります。

主催者のプロダクションからして、いきあたりばったりのかなりいいかげんなもので、60年代的なおおらかさと楽観主義がたまたま功を奏しただけのように思えます。大群衆が困難な状況にも平和だったのは、大量に持ち込まれたドラッグ(マリワナの紫煙が霧のようにたちこめていた)によって集団多幸症のような状態にあったからかもしれないし、警察や軍の介入による混乱がなかったのは、50万もの集団(その多くが未成年)に対して、どうにも手の出しようがなかったからなのでしょう。

もしもタイムワープしてその現場に飛ばされてしまったら・・・。濃霧のようにたちこめるマリワナのスモッグ。体臭と排泄物の強烈な悪臭(*2)。あちこちで人目もはばからずに交接する男女。・・・ユートピアどころか地獄かと思ったかもしれません。

しかし、いまDVDなどで、ほかにはない独特のおおらかなグルーヴ感みたいなのを楽しめるのも、このようないいかげんさと偶然性(60年代文化のキーワードの一つでもある「ハプニング」)によるところが大きいのではないかと思います。


さて、ウッドストック出演アーティストですが、実際の登場順などは映画とはかなり違っています。以下はこちらのサイトを主に参考にしたものですが、これとは異なっているものもあります(*3)。

[Day One (8/15-16)]
Richie Havens [5:07pm]
Country Joe McDonald (Solo)
John B. Sebastian
Incredible String Band
Sweetwater
Bert Sommer [8:00pm]
Tim Hardin [9:00pm]
Ravi Shankar
Melanie
Arlo Guthrie
Joan Baez

[Day Two (8/16-17)]
Quill [12:15pm]
Keef Hartley Band
Santana [2:30pm]
Mountain
Canned Heat
Grateful Dead
Creedence Clearwater Revival
Janis Joplin
Sly & The Family Stone [1:30am]
The Who [3:00am]
Jefferson Airplane [8:30am]

[Day Three (8/17-18)]
Joe Cocker [2:00pm]
Country Joe & The Fish
Ten Years After [8:00pm]
The Band [10:30pm]
Blood Sweat And Tears [12:00am]
Johnny Winter
Crosby, Stills, Nash & Young [3:00am]
Paul Butterfield Blues Band
Sha-Na-Na
Jimi Hendrix [8:30am]

シャナナの出番がジミヘンの直前で、観衆もまばらになった早朝だったなんて、最近まで知りませんでした。ジミヘンといえば、以前から謎だったのですが、なぜ大トリの彼のステージを観ずにほとんどの人が帰路についてしまったのでしょうか? 週末が終わって月曜の朝になったからって、ヒッピーたちがあわてて帰ることもないだろうに・・・夏休みなんだし。

「ウッドストック伝説」に登場する女性も、「彼がステージに上がるころには、もうみんないなくなってたの。理解に苦しんだわ、いちばんすごい部分を体験せずに帰っていっちゃうなんて。」と言ってます。これはきっと、シャナナのパフォーマンスを見て、みんな「帰ろ」と思ったのではないかと・・・(冗談ですが)。

ということで、ジミヘンのセットの終わりの方で演奏される「星条旗よ永遠なれ」が、50万観衆を大いに沸かせたウッドストック賛歌である、みたいな認識は誤りということになります。


いま思うに、ウッドストックの最大の皮肉は、現実社会からのドロップアウト幻想のようなものが束の間でも実現しそうに思えたイベントが、逆にその夢から覚まさせることになったということではないでしょうか。なぜなら、最終的に食糧不足による空腹という問題を解決させてくれたのは、最初は快く思っていなかった周辺住民からの差し入れだったからです。

「あえて声高にいう者はいなかったが、みんな、うすうす気がついていた。フラワーチャイルドたちは、自分たちが生きていくすべを、外部の大人の力に頼っていたのである。(中略)田舎の週末を目指すキッドたちが捨ててきた、親の恩恵や安全こそが、このパーティを存続させているたったひとつの力の源だったのだ。・・・」
「ウッドストック・フェスティバルによって、なにかが終わりを告げた。あれはムーヴメントの始まりというより、むしろ記念碑だったんだ。・・・」
(「ウッドストック伝説」)


*1
地域住民の反対などで、開催予定地は実際の「ウッドストック」からどんどん離れていき、最終的に決まった「べセルの丘」に位置するマックス・ヤスガーの農場は、ウッドストックの町から50マイルの距離にあります。50マイルというと約80kmで、東京からすると熱海あたりでしょうか。かなり離れてます。(このへんのアバウトさがアメリカ的?)

*2
「あの夏から翌年の春までずっと、車であのへんに行くと、人間の排泄物の臭いが、そりゃすさまじかったわ。あれが完全に消えるまでには、三年くらいかかったわね。」(「ウッドストック伝説」)

*3
Country Joe, John Sebastian, Incredible String Bandが2日目、Mountainが3日目になってたりします。Jeff Beck GroupやIron Butterflyが出演者リストに載っていることがありますが、前者は直前(前日?)に解散(代わりに呼ばれたのがSantanaだったとか)、後者は出演するつもりだったものの会場に到着できずにまったく演奏しなかったようです。
それにしても、40万もの人が目撃し、詳細にフィルム撮影までされていたのに、今日に至っても「これが決定版」というセットリストがないというのもウッドストックらしくて良いです。



タイトル: ディレクターズ・カット ウッドストック~愛と平和と音楽の3日間~


著者: ジャック カリー, Jack Curry, 棚橋 志行
タイトル: ウッドストック伝説―甦る“愛と平和”の’60年代


ユニバーサルインターナショナル
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