ラスベガスをやっつけろ | サイケデリック漂流記

ラスベガスをやっつけろ


タイトル: ラスベガスをやっつけろ

先月の今日、原作者のハンター・S・トンプソンが自殺したというニュースを聞いたときに、この映画について触れようと思ったのですが、もう一度観てから書こうと思ってるうちに、ちょうどひと月経ってしまいました。

この映画、カタギの人が予備知識なく観たら、わけのわからないB級コメディとしか思えないかもしれません。(カンヌ映画祭ではブーイングの嵐だったそうな。) ひとことでいうと、オヤジふたりが最初から最後までラリってるだけみたいな・・・。でも、これほどドラッグカルチャーの本質を突いた作品は、ほかにはないのではないかと思います。

ところどころに挿入される魅力的な60年代の音楽や映像(*1)とは対照的に、映画の中の今(フラワームーブメントが終焉した70年代初頭)の、ドラッグ文化の生ける屍(ゾンビ)のようなジャンキーの姿を徹底的に醜怪に描くことで、時代とドラッグの関係を鋭く浮き彫りにしています。

60年代のドラッグ文化が特別だったのは、その時代背景があったからこそ。泥沼のベトナム戦争や人種差別やらがあって、体制やそれを支える価値観は悪であり、それらを破壊し、これまではタブーであったことや新しい経験(LSDなど)をすることは正しいことでありパワーであるという、一種のお祭りのような精神的高揚が生んだものだったのでしょう。

しかし、ドラッグが人間の意識を拡大して、人類にあらたな精神的ビジョンを提供する、というような話はファンタジーに過ぎないことがわかってきます。60年代のドラッグ文化が魅力的なのは、特異な時代性(未熟な精神性等の負の要素も含む)によって、そのファンタジーがアートや音楽として奇跡的に具現化したからではないかと思います。本作は、そのような60年代ドラッグカルチャーへの強い哀惜の念を表しています。

原作者であり主人公のラウル自身であるハンター・S・トンプソンは、ゴンゾー・ジャーナリズムの先駆者とされている人です。ゴンゾー・ジャーナリズムとは、本来は客観的で公正中立のはずのジャーナリスト的立場を捨て、自ら取材対象の中に入り込んで同化し、主観的なドキュメンタリーとして記事を書くというスタイル。文学でいうと「私小説」みたいなものでしょうか。


主演のジョニー・デップは撮影前にハンター・S・トンプソン
の付き人をして役作りをし、頭を剃ってまでなりきろうとした。


JAの「ホワイトラビット」でバッドトリップ中のドクター・ゴンゾー
ベニチオ・デル・トロ)。彼もこの役のために20kg太った。


原作者の故ハンター・S・トンプソンもチラっと出ている。


*1
使われている音楽は、ジェファーソン・エアプレイン、ホールディング・カンパニー、ヤードバーズ、ヤングブラッズ、ボブ・ディラン、ブッカーT&the MG's、スリードッグナイト、などなど。60sファンは音楽だけでも楽しめるでしょう。特にラストに流れるニール・ヤング(バファロー・スプリングフィールド)の「エクスペクティング・トゥ・フライ」が美しい。


シスコのMatrixで「あなただけを」を演奏する
ジェファーソン・エアプレイン(のモック)。


こちらはホンモノのグレイトフル・デッドの演奏風景。



著者: Hunter S. Thompson
タイトル: ラスベガス・71 [原作]

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(tuboyakiさん)
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