オルタモントの悲劇 | サイケデリック漂流記

オルタモントの悲劇


ウッドストックが60年代の「愛と平和」を象徴する出来事なら、その4か月後に開かれたオルタモントのフリーコンサートは「暴力と死」を象徴するような惨劇となってしまいました。4人の死者と多数の負傷者を出したこの「オルタモントの悲劇」で、60年代の幻想は儚くも崩れ去ってしまったのです。

衆人環視のもとで殺人が行なわれ、その一部始終が記録されて映画公開されるという異常さ。ロック史上最大の汚点といわれたこの凶事はなぜ起こったのでしょうか・・・。


1969年11月末、全米ツアーの終盤にさしかかっていたローリング・ストーンズは会見の席で、「ツアーの締めくくりにサンフランシスコでフリーコンサートを開催する。期日は12月6日の土曜日。会場は(使用許可がおりなかったため、予定していた)ゴールデンゲート・パークではないが、その近辺になるだろう・・・」とアナウンスします。

各地のラジオ局がフリーコンサートの開催を喧伝する一方、予想される数十万人という観客を受け入れられる会場がなかなか見つかりません。やっと当日の4日前になって、シアーズ・ポイントというレース場が開催地に決まりました。ところが、会場設営もほぼ完成という段になって、レース場のオーナーが見返りとして巨額の報酬を要求してきます。ストーンズ側はこれを受け入れることを拒否し、開催地はまた白紙の状態に戻ってしまいました。

土壇場で、シスコから50マイルのオルタモントにあるレース場が提供されたのは、開催2日前の木曜日のことでした。最終的な取り決めが終わって、会場設営などの準備に残された時間は24時間あまり。急なことで地元警察などが対応できず、会場警備はグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアのアドバイスにより、暴走族のヘルス・エンジェルスに一任されました。しかし、これが最大の誤りだったのです。

夜を徹してステージや音響設備が組み上げられる中、続々と観衆が集まり、当日の朝10時ごろにはすでに30万人近い群集がレース場を埋め尽くしていました。その頃からすでに混乱と険悪なムードが蔓延しはじめていたようです。じゅうぶんな駐車スペースの準備がされず、狭い道に延々と乗り捨てられた車の列。思うように確保できない飲食物やトイレ。設営の遅れで、なかなか始まらないコンサート。質の悪いドラッグが出回り、バッドトリップする人々。そして、寒さ・・・。

しかし、これらの悪条件はウッドストックも同様だったはずです。思うに、客席にバイクを乗り入れ、会場整理と称して理不尽な暴力を振るうヘルス・エンジェルスの凶悪なムードが、会場を支配してしまったのではないでしょうか。これはコンサートが開幕し、バンドの演奏が始まっても、収まるどころかますます激しくなっていきます。

「・・・クスリのいきすぎでわけのわからなくなった連中がいっぱいいた。ステージでギターを弾きながら、下でナイフを抜いた奴がいたのにも気がついた。ただ、誰にでもいいから、喧嘩をふっかけたいわけさ。ナイフで刺されてうずくまる奴もずいぶん見えたね」(カルロス・サンタナ)

ドラッグの影響なのか、まるで火に飛び込む虫のようにステージに押し寄せてはヘルス・エンジェルスに打ち倒される観客たち。ステージが低く、客席とを区切るスペースがなかったという設置上の重大なミスもあり、バンドのメンバーよりステージ上で客を蹴散らすエンジェルスの方が多いという異様な光景・・・。

もちろん、出演者たちは平気でプレイを続けていたわけではなく、何度も演奏を中断しては、「争いはやめて平和にやろうぜ」と呼びかけています。しかし、ジェファーソン・エアプレインの演奏中には、暴力沙汰を止めようとしたメンバーのマーティ・バリンがエンジェルスに叩きのめされるという事態が発生します。

そして、最悪の出来事は最後のトリのストーンズのステージの最中に起こりました。ひとりの黒人青年が、ステージに銃を向けたという理由でエンジェルスにナイフでメッタ突きにされて殺されてしまったのです。(信じがたいことに、のちにエンジェルスは正当防衛で無罪となっています。銃に関する真実は不明です。)


惨事の直接的な原因はヘルス・エンジェルスだったことは間違いないにしても、その元凶はストーンズの傲慢さにあったのだという意見もあります。

そもそも、このフリーコンサートが強行に推し進められた理由は「愛と平和」などではなく、ひとりの人間のエゴでした。ウッドストックが映画化され、ライバルのザ・フーのステージが脚光を浴びそうだという話を聞いたミック・ジャガーが、ツアーの模様をドキュメンタリー映画にして、ウッドストックよりも先に公開しようとしたのです。フリーコンサートはそのクライマックスとして計画されたものでした。

当時のミック・ジャガーは全知全能の神のように思い上がり、まるで自分が悪魔の化身であるかのようにふるまっていました。当時の様子を撮ったコレクターズフィルムなどを見ても、われわれがイメージする「反抗的な不良っぽさ」などでは済まない、胸が悪くなるような堕落した邪悪さを感じます。このツアーでも、観客をわざと何時間も待たせて大物ぶるのが常套手段で、フラワーチルドレンラブ&ピースなどは、はなっからバカにしていたのです。

しかし、皮肉なことに、この頃のストーンズの作品に最も魅力があるというのと同様、出来上がった映画「ギミー・シェルター」は、オルタモントの悲劇によって、ミックが意図していた以上のドキュメンタリー作品になったのでした。映画「ウッドストック」が独特のムードを持っているのと同様、「ギミー・シェルター」もほかにはない唯一無二のものです。(これほど殺伐として険悪なムードのロックコンサートは見たことありません。)

ただ、ウッドストックとオルタモントという明暗を分けたイベントに、本質的な違いがあったわけではないと思います。プロダクションや状況や観客数などもよく似ています。実はウッドストックの主催者であるマイケル・ラングも、コンサート・オーガナイザーとしてオルタモントの開催に関係していました。

ウッドストックとオルタモントは同じカードの表と裏。ドラッグ(文化)の持つ二面性そのものだったのではないでしょうか。ドラッグが人を桃源郷へいざなうこともあれば、悪夢のようなバッドトリップや死にいたらしめることもある。マイケル・ラングがオルタモントの開催を危ぶむ声に対して、「ウッドストックではうまくいった」と答えていたのが印象的です。


さて、オルタモントの出演者ですが、
Ike & Tina Turner, Santana, Jefferson Airplane, CSN&Y, Flying Buritto Brothers, Rolling Stones, ...といったところ。出演予定だったGrateful Deadは会場に到着したものの、険悪な雰囲気にステージに上がるのを見合わせたようです。

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