熊本にまつわる映像を朝から否応なく目の当たりにして、
東日本震災の時のように胸がギュッとされるようです。
何か出来ることをしたいと思います。

さて・・・

できる人と、出来ない人。

その差はどこにあるのだろう。

もって生まれた能力なのか?

それともやっぱり努力なのか?

私は、もうかれこれ30年くらい、
この疑問について考え続けているのだが・・・

未だ明確な答えは出ない。

人には生まれもった才能というものがあり、
努力だけでは超えられない壁がある。

それは事実だろう。

どういうわけか・・・

全く同じ環境で育った兄弟にも、
生まれながら身に付いている性格や能力の違いがある。

他人であればなおのこと。

人は生まれた時から既に違うのだ。

出来ること・出来ないこと・・・

向いていること・向いていないこと・・・

好きなこと・嫌いなこと。

当たり前の話なのだが、人間には適正や個性がある。

ただ・・・

私たち日本人は昔から「文武両道」バランスよく
何でも出来ることを良しとする傾向がある。

たとえば・・・オリンピックの体操競技。

床なら床、鉄棒なら鉄棒のスペシャリストを目指す。

・・・というのが中国などの戦略。

それぞれのスペシャリストが
世界一の技術を身につけたなら・・・

個人競技の数だけ金メダルが取れる。

そして・・・

その組み合わせである団体戦でも金メダルが取れる。

取れないのは個人総合だけ。

個人総合は、
全ての競技におけるバランスが求められる。

どの競技にも苦手が作れないし、
どの競技もかなりのレベルで演技できなくてはならない。

個人総合チャンピオンは確かにかっこいい。

だが・・・

そういう選手を組み合わせても、団体戦は勝つことが出来ない。


人間には生まれもった適正や才能がある。

これは動かしようのない事実だろう。

だが、そうはいっても
努力なしに才能を開花させることは出来ない。

確かに・・・

小学生くらいまでなら、
もって生まれた足の速さや、もって生まれた頭の良さで、
学年トップを取ることくらいは可能だろう。

だが・・・

そのままでは、
いずれ努力する人には勝てなくなる。

最後まで勝ち残るのは、
才能+努力の両方を兼ね備えた人だ。

これは間違いない。

では・・・

才能のない人は、
努力するだけ無駄なのだろうか。

所詮は才能を持った努力家には、勝てないのだろうか。

私の答えはこうだ。

努力だけでは、
才能を持った努力家には勝てない。

スペシャリストとしては。

だが、総合チャンピオンにはなれると思う。

つまりは、
勝ち方に違いがあるということだ。

スペシャリストとしてのチャンピオンを目指すのか・・・

それとも、
ゼネラリストとしてのチャンピオンを目指すのか。

まずは、
そこを決める必要がある。

ただし・・・

ゼネラリストといっても
あらゆることが出来るという意味ではない。

内村選手は、
体操では何でも出来るゼネラリストだが・・・

かといって、
絵画や音楽や勉強に至るまで、
何でも出来るというわけではない。

デキスギくんはマンガの中のお話なのだ。

人間には、生まれもった違いがある。

スポーツに向いている人や・・・

音楽に向いている人・・・

勉強に向いている人。

いろいろな違いがある。

だが、大きく分けるとしたら・・・

スペシャリストタイプと、
ゼネラリストタイプに
分かれるのではないだろうか。

もちろん・・・

どんなタイプだろうと、
努力しなければ自分の能力を開花させることは出来ない。

ここは平等だと思う。

だが、同じように努力した結果、
人は二種類のタイプに分かれていくのだと思う。

一方はスペシャリスト。

もう一方はゼネラリスト。

どちらも、
その合計点は変わらない。

変わるのは、配点のバランスだ。

スペシャリストは
強い部分と弱い部分の差がはっきりと現れるタイプ。

そして、
ゼネラリストは
強みと弱みの差がそんなに極端には出ないタイプ。

形に例えるならば、
ゼネラリストはきれいな丸に近く、
スペシャリストは尖った三角形。

形は違うが面積は同じ。

つまりはタイプが違うのだ。

スポーツやアートの世界では、
スペシャリストが活躍しやすいが・・・

ビジネスの世界では敬遠されやすい。

それは・・・

決定的な弱点をもっているからだ。

たとえば・・・

お客さんとコミュニケーションできないとか・・・

社内で浮いてしまうとか。

だが、
そういうタイプも使いようなのだと思う。

弱点を克服させるのではなく、
強みをとことん発揮させる。

弱点は、
他のスペシャリストとの組み合わせでカバーすればいい。

ゼネラリストとスペシャリスト。

どの分野においても、
その両方が必要なのだと思う。

要は・・・それぞれの生かし方なのだ。