今年は寒いですね・・・

娘と息子がサッカーをやりたいと言った。

サッカーをやりたい。

どこかでやりたいと・・・


何しろ私はFootballJunky。


メチャメチャ嬉しい。

が、しかし・・・

だからこそ・・・強制したくない。

普通なら、自分の親でなければ、
私に相談することなど絶対に考えられない。

何しろ私はFootballJunky。苦笑

だが相談された以上、私も考えなくてはならない。

サッカーをやっていくために
どこが良いのか、ということを。

Footballの才能や技術に関しては
ずーっと喋り続けられる。

だが・・・

良い選手に共通するものは
知力、体力、センス。

果たして・・・

客観的に「親」でいられるだろうか。

サッカーをやりたいという相談は初めてだが・・・

本を書きたい、会社をつくりたいという相談ならば、
今までにも、たくさん受けたことがある。

そして、
そこにはひとつの共通項があると思うのだ。

いいサッカー、いい音楽、いい本、いい会社、
そこに共通するのは「メッセージ」だ。

そのFootballや、
音楽や本、会社に触れたときに感じる
強烈なメッセージがあるか否か。

それが・・・全ての始まりなのだと思う。

フォーメーションやFootballの技術は
そのメッセージを伝えるための
手段に過ぎない。

文章の上手さや
経営のスキルも同じだ。

Football、音楽、本、会社。

それらは
単なる媒体でしかない。

そこには
発信したいメッセージがあるのか!?!

つまり・・・

それを創った人間が、
社会に対して投げかけたいメッセージを
持っているのか、
どうかが重要なのだ。


メッセージとは
自分の中に秘めた思い。

その思いが
どんどん大きくなっていくと、
発信せずにはいられなくなる。

そのとき、
目の前にあるものが
音楽ならば音楽を通じて・・・

あるいは
Footballというゲームを通じて・・・

本や会社という媒体を通じて・・・

社会に
自分の思いをぶちまける。

ぶちまけられた思いが
共感を生むものならば、
それはいいチーム、いい音楽、いい本、いい会社として
多くの人々から支持されるだろう。

だが、往々にして・・・

最初から共感を呼ぶことを
目的に作られたメッセージには力がない。

メッセージは
心の叫びでなくてはならないのだ。

チケット、音楽や本を売るための手段として
メッセージを利用したとしても、
受け手の側にはバレてしまう。

偽物のメッセージは
あざとく、鼻につき、白々しい。

本物のメッセージが
共感を呼ぶのは・・・

受け手の側も
少なからず心の叫びを抱えているからだ。


心の叫びは、心の叫びと共鳴する。


それは、音叉のように。


片方の心の振動が
もう片方の心の振動へと共鳴するのだ。

結局・・・

社会へのメッセージとは
人間、一人ひとりへのメッセージでしかない。

社会を意識したメッセージは
誰の心にも響かない。

反対に・・・

たった一人に向けて紡がれたメッセージが
多くの人々の共感を生む。

世界的ベストセラーになった「星の王子様」は、
ナチスの虐待に苦しむ、
たった一人の友人を励ますために
書かれたメッセージなのだ。


心の叫びは
目の前の小さな疑問から生まれる。

当たり前のように進行している日常。

繰り返される毎日。

その常識に
「なぜ?」という疑問が湧く。

どう考えても納得がいかない。

理不尽である。

だが・・・

そう感じているのは
自分だけなのか。

いや、違う。

本当はみんな感じているはずだ。

可怪しい・・・と。

だが・・・

みんな黙って、やり過ごしている。

面倒だし、
何の得にもならないから。

言われたとおり、
決められたとおりに生きた方が楽だから。

だが、自分には
そんな生き方はできない。

お前は間違っていると、
どんなに周りの人から言われようとも
納得できない。

自分の生き方は
自分自身で決めるべきなのだ。

その結論に達したとき、
人は発信せずにはいられなくなる。

だったら発信すればいい。

サッカーでも、音楽でも・・・

文章でも、事業でも、・・・


自分が、もっとも得意とする方法で
発信すればいいのだ。

ただし・・・

それは、
共感を生むことや
ヒット曲・ベストセラーをつくることが
目的ではない。

自分自身の・・・

心を解き放つことが
本当の目的なのだ。