妻が入院してから、海外出張がめっきり減った。以前は2ヶ月おきぐらいで海外へ行っていたので、帰国後やはり日本はいいなと思っていた。だから日本についてあまり関心がなかった。まずテレビの連続ドラマがだめ。野球も興味がなくなった。以前は熱狂的な中日ファン。ただ大学が名古屋だった理由だけだけど。
日本に長くいると、結構いろいろなことが気になるし、鼻についてきて、そろそろ海外へと思っていました。
鼻につくといっても、ことらもオジサン。お互い様ですが。
気になるのは、2つせっかちでおっとり(のろい)。

せっかちだな
JRや地下鉄で乗客が降りないうちに乗ってくる。どうも老若男女。年齢に関係ないようである。
車内で化粧―――アート活動をしている。寸暇を惜しんでいる。家でゆっくりアートを楽しめばいいのに。
とにかく、じっとしていない。
以前東西線での経験。門前仲町から東西線に乗り込む。午後遅くだったと思う。乗り込み開いた席に座ると、前に6、7人の女性が座っていた。その女性すべてが携帯電話をいそしんでいた。限られた空間でじっとしていられないのかもしれない。
やたらに言葉を省略する。僕らの時代にもあったけど、でも省略しても原型がある程度あり、なるほどとおもった。時代感覚がずれてきただけでしょうけど。
KY これ何の意味。空気が読めないの意味らしい。なにか目の前で使われると、面と向かって陰口を言われているような気がする。
オッパッピ これはOcean Pacific Peaceの意味らしい。
いちいち説明を聞かないと判らない。



おっとりだな
バスにのるときやコンビニエンスストア。金額を聞いて初めて、小銭を取り出して、しかもいかにつり銭をもらわないように、財布を捜している。毎日買うのだから、金額はわかっていると思うのだけれど。
言われなきゃ、動かないおっとり精神の発露でしょうか。特にバス料金は決まっていると思うのだけれど。
とにかく、おっとりしている。歩き方もそうだ。東京と大阪では歩く早さは違うといわれたけれど、いまでもそうだろうか。
海外では、のんびり歩いているのは、職がないひとかホームレスである。
常に目的に向かって、進んでいる。
日本人がせっかちだなあと思うのは、電車が止まって、下車するとき、競馬のゲートが開いたときのように、まるで競争。長年培った競争心はこういうときに発揮されている。どこへ向かっているのだろう。

新浦安駅からバスで海風の街・バスを降り、イトヨーカドーの灯りを見て、やっと帰ってきたとほっとし、上を見上げると我が家の窓に灯り。さらにほっとする。
ゆったりとした気持ちで、我が家を目指す。競争するものはなにもない。
電車を降りる諸君、何と誰と競争しているのですか。

海外滞在の後遺症でしょうか。2年近く、日本に滞在すると、こんなことを考えてしまう。あまりいいことではないことは判っています。
老化現象
かもしれません

もっとも、我が家の扉を開け、妻の寝ている今へ行き、ただいまと挨拶すると、精一杯声をだしながら、
「パパ おかえり」
「まってたの」
ここでは競争するものはない。妻の精一杯のあいさつに勝てるわけがない。