阿里山を下山し、嘉義に1週間滞在。理由は、阿里山で知り合った学生の家に宿泊。のびのびになり、1週間となった。それから、台南を経て、高雄へ。
泊めていただいた家は、夫婦と子供二人。その長女が今回知り合った人。すみません名前はもう記憶のかなた。ひとつ上でしたから、今は58歳。きっといいおばあちゃんになって孫に囲まれているのでしょうか。両親は再婚同士。ご主人は大陸、満州人。彼女は台湾人。結婚当時は親戚との付き合いが断絶したほど、猛反対だったそうです。
戦後、台湾は日本との国交を図るとき、戦後賠償金を放棄し、日中友好を張ったほどです。その事情を知る人から見れば、角さんが大陸との国交を開くと同時に、大陸に遠慮して、台湾との国交をたち、中途半端なお付き合いしかできないことに、義憤を感じているのでは。いかにも日本的に長いものに巻かれ、問題を先送りにしている典型的な日本流と思うひとはたくさんいるのでは。
いずれにしろ、あれから、28年以上たち、大陸はひとつの中国をスローガンにより、台湾を揺さぶり、台湾は中国に資本を注入しながら、大陸深く入り込もうとしている。したたかな戦いである。傍目から見れば、すさまじい喧嘩かも知れないが、やはり夫婦喧嘩、夫婦のことは夫婦しかわからないのでは。
ふたつの中国を、夫婦喧嘩にたとえたのは不謹慎とお叱りを受けるかも知れません。
あれから、何度も台湾を訪れ、最近は夫婦の思い出の地になっています。
梨山からの景観、阿里山登山すべて、妻との思い出となっています。
28年前の台北、花連、台中、嘉義、高雄すべて、面影がないほど変貌を遂げており、都市を訪れても、かつての面影が残る場所は本当に少なくなってきています。
高雄から恒春を過ぎて、ガランビーへの途中、山あいを1時間車で走ると、四重渓温泉があり、ここは日本的な温泉街でしたが、訪れるとかつての面影がわずかに残っています。
いずれにしろ、人々はたくましく営みを続け、かつてのお互いに助け合うこころは、地方に行くと残っており、また台湾の山々にも28年経て、変わっていない景色があります。
もう一度、妻と訪れたい国です。
最後に、忘れがたいエピソード。
阿里山でのこと。阿里山へは登山鉄道で妻と一緒に。着いたのは4時ごろ。あいにくの雨。台湾の雨。豪雨に近い。ホテルのバスを待っていると、若い女の人が傘を売っていた。ゴルフ場で使うど派手なかさ。バス停で待っていると隣の二人。どうやら宿の予約をせずに来たよう。周囲の人に宿のことを聞いているようであった。くだんの傘を売っていた女性、近づいてきて、二人にどうしたのか聞いている。早速、旅行案内で部屋があるかどうか、代わって確認。どうやらだめのよう。観光シーズン。しかも雨の中。薄暗いバス停でひときわ心細そうな二人。やがて傘を売っていた女性、二人ほど地元の人を連れてきて、事情を話し、「あんた、困っているのだから、どうにかしなさいよ」「お互い様でしょう」などと地元の人をせっついているよう。やがて、なんとか宿泊施設が見つかったよう。二人の安堵の顔でわかる。丁度、我々のホテルの迎えのバスが黒。今度はその女性、バスの運転手に二人を連れて行くよう交渉。
同じバスの中。二人の楽しい顔がもどったよう。振り向くと例の女性、かさ売りを始めていた。
ホテルで
食事が終わった頃、雨が上がり、星が見えてきた。明日は祝山で日の出を見るか。
翌朝未明、祝山へ登る。今はゲストハウスができており、その中で、暖をとりながら、日の出を待つ。いつのまにか明るくなり、28年前と変わらない日の出。玉山。
気がつくと、昨日の傘を売っていた女性。今度は饅頭を売っている。大声を上げながら、人と人の間を笑顔をふりまきながら、売り歩いている。妻と二人で一つ買う。分け合いながら、おいしいね。
大陸にのど元に匕首を突きつけられ、脅されながら、片手は米国、片手は中国と手を握りなが,ら、たくましい台湾。いまや蒋介石の政治の脈略はなく、新しい台湾を目指している。そして、地域では、変わらない風景とともに、変わらない人々の暖かい営みがある。私たちの父母の時代の営みである。三丁目の営みである。