本日3月8日は、元亀元年(1570年)誕生説を取った場合の「新暦での」真田信繁(幸村)の誕生日です。
(1)旧暦では元亀元年2月2日。
それならば2月2日に祝えばいいではないか!と仰るかもしれませんが、今回は占星術上の「星座」の話。
科学に携わる研究者としては、占いなどは信じるに足りないと申したいところなのですが、誤りは誤りと言う事は出来ます:
事の所以は、「私も幸村公と同じ水瓶座!」とSNSの至るところに書き込んでいた、痛い御老人(以下、Hとする)の存在。
このH氏、自分の主義主張を通すために親族に自衛官がいる・警官がいる・教員がいる、元顧客に右翼がいる・・・などの自慢・威嚇ばかり。その真偽は別として「自分というものはないのか?」と常々思っていましたが、大河ドラマの時代考証の先生との2ショットをSNSにアップした際には「またか」と辟易といたしました。その上・・・
(2)真田信繁(幸村)侯はうお座!
星座占いの「星座」とは、誕生時に太陽が星座名を冠した「十二宮」のうちのどの宮(サイン)に位置したかによって決まるもの。
ですから、太陽暦で見ないと話にならないのではないでしょうか。
真田信繁(幸村)が元亀元年2月2日に生まれたとすれば、それは太陽暦上で1570年の3月8日であり、太陽は「うお座に」位置。
だから、うお座なのです。
(3)おまけとして、老婆心ながら・・・
講演などで「その場限りで」出会った有名人とのツーショットを載せたとしても、自分が有名になった訳でも偉くなった訳でもありません。
直虎関連でも同様に時代考証の先生とのツーショットをアップしていた人がいましたが、やはり(前後の投稿やその人自身の別投稿と比べても明らかに)低評価。
これでわかりそうなものですが、現実としてはかなり恥ずかしい類の事でしょう。
その一方で、「(時代考証の)小和田先生とこんな事を議論したことがある。」とか「大石代表からこんな指摘を受けた」などの実際の付き合い・絡みをした御仁たちも結構大河関連のSNSに投稿されている訳ですが、そういった有用な(少なくとも、建設的な)投稿をされる方々が「わざわざ」「こんな類の」ツーショットなどをアップする事が有るでしょうか?
繰り返しますが、百歩譲って幸村侯と同じ星座だったとしても、それだけでは幸村侯の武勲に肖れる訳では無いのです。