なぜ「北」海道なのか(歴史エピソード第13回) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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今晩2度目の更新です!

長らくプレッシャーになっておりました科学研究費調書ですが、昨日中に書くだけは書きました。


さて、今回は「皇族大臣・武内宿禰の謎」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10684820043.html 以来の歴史エピソードとなります。


「北海道はなぜ北海道なのか?」という問いに対して、北海道や三重県の方々は答えるのに容易かもしれません。


なぜ三重県?・・・それは、「北海道」の名付け親とされる松浦武四郎(1818-1888)三重県松阪市出身だからです。

他の都府県の方には馴染みは少ないかもしれませんが、この松浦武四郎という人物は

探検家」かつ「江戸幕府・明治政府の役人」でした。


非常に面白い方なのですが、今回は武四郎翁の事績ばかりを語る積もりは有りません。

そして「なぜ北海道という名がついたのか」については、実は律令制下(天武朝時に成立とも言われる)の「五畿七道(ごきしちどう)」のうちの「七道」を見れば容易に想像が付く事なのです。


因みに五畿とは京に近い五国(山城・河内・大和・摂津・和泉)で、現在の京都府南部・兵庫県の一部・大阪府・奈良県を指します。

そして、七道は以下の通り:

海道

東山道(とうせんどう)

北陸道

山陽道

山陰道

西海道・・・九州

海道・・・四国・淡路・紀伊半島


これらのうち、東海・北陸・山陽・山陰は現在でも地方名となっていますので注記はいたしませんでした。

東山道は東北地方も入ります。これで指す領域が消去法的に分かるかと思います。


そして、「海道」には「東」「西」「南」が有って「北」を欠いていた訳です。武四郎翁が「北加伊(きたかい)道」「海北道」などの案を政府に提出した際に、識者がこの事に目を付けて「北海道」という折衷案を立てた・・・これが通説です。


しかし、武四郎翁は探検家。いくら何でも「東海道」「西海道」「南海道」の名称は重々承知だったはずなのです。

「北加伊(きたかい)道」「海北道」・・・というのは、「北海道」をわざと外していたからなのかもしれません。


故意に外していたとして、その理由は今となっては「武四郎翁のみぞ知る」という事でしょう。

いずれにしましても、北海道の名付け親には北海道内の多くの地名の選定を行った武四郎翁こそがふさわしい・・・これには誰にも異論を挟めない事なのでしょうね。