歴史用語の基礎(第13回:親王任国と吉良上野介・織田上総介) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

9/27の「賜姓皇族」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10660628752.html 以来の「歴史用語の基礎」になります。


昨日の記事http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10672889798.html で吉良義央卿の墓所のレポートを致しましたが、これを機会に関連の話題をもう少し続けさせて下さい。


(1)まずは四等官制について。

中国・日本における律令制度下の「四等官(しとうかん)制」を簡単に紹介します。

上位から

「かみ(長官)」

「すけ(二等官)」

「じょう(三等官)」

「さかん(四等官)」

と分類される制度の事ですね。

国司の場合はそれぞれ「守」「介」「掾」「目」と記しますが、職制によって当てはめる漢字は異なります。


(2)なぜ吉良卿は大大名に匹敵する位を持てる家(高家)なのに上総「守」ではなかったのか?

「親王任国制」によって、皇族、しかも親王以外の者が「上総守」に任じられる事がなくなった為です。


以前にも触れました様に、平安京を造営させた桓武天皇、そして特に子の嵯峨天皇の子女は数が多く、それぞれ平氏・源氏を輩出する事で皇族の数を減らさなくてはならなくなりました。

※この件に関しましては、「賜姓皇族」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10660628752.html を御参考に。

それでもなお親王に与えるポストが不足し、そのため(嵯峨天皇の弟である)淳和天皇の治世に限って「上野守」「上総守」「常陸守」の3ポストを「親王専用」にする様にという清原夏野の上奏が成されたのです。

もちろん上述の3国が「親王任国」です。


さらには、期間限定だったはずのこの制度は恒等化。

そして、親王様がわざわざ地方へ出向くはずが無いという事で、実質的にはその下の「上野介」「上総介」「常陸介」実質的な長官となったという流れです。


なお、親王任国はすべて位階の高い「大国」。そのため、上野介は国司の「介」でありながら下位の「上国」「中国」「下国」の「守」に匹敵する位を持った事になるのです。


(3)織田「上総介」信長という名乗りが持つ意味

織田信長の「上総介」の知名度も高い様ですが、こちらは本当に朝廷から「上総介」の官職が与えられた訳ではありません。

これを「僭称(偽の名乗り)」というのですが、それでも「上総守」がNGであるという事ぐらいは知られていたらしく、きちんと「上総介」となっています。


なお、江戸時代になって一族の織田信勝(信長の大甥で丹波柏原藩主)が「本当に」上総介に任じられています。