(※言葉の言い回し、細かな順番以外は事実に即しています。)
<引き続き、中央本線の列車内・・・>
D「Yさんの言われた『通字』で思い出したのですが、通字で無い方の字・・・例えば信虎の「虎」は有力家臣に下賜されるのでしたよね~。」
H「『偏諱(へんき)』といわれるものですね。ここで諱という字は訓読みで『いみな』。本名という意味です。」
D「原『虎』胤や甘利『虎』泰なんかがそうですよね~。そしてその前が山県昌景らの『昌』のグループ。大河ドラマの風林火山でも解説が有りました~」
(注:武田二十四将を参考までに列挙すると、
秋山信友,穴山信君(梅雪),甘利虎泰,板垣信方,一条信龍,小幡虎盛 (小畠虎盛),小幡昌盛,飯富虎昌,小山田信茂または武田勝頼,高坂昌信 (春日虎綱),三枝守友,真田信綱,真田幸隆,武田信繁,武田信廉,多田満頼,,土屋昌次 ,内藤昌豊,馬場信春,原虎胤,原昌胤,山県昌景,山本勘助,横田高松。
『信』を持つ人物は御一門と考えれば良い。)
H「しかし、信昌は信虎の祖父で先先代当主。先代は父の信縄(のぶつな)でした。」
D「でも『つな』の字の偏諱(へんき)を持つ家臣が思いつかないんですよね~」
H「縄と書いて『つな』と読ませるのですが、勉強不足のせいか私も該当する有力武将が思い当りません。でも、理由はある程度分かっていますので、思い当らないのも無理は無いかな・・・と。」
Y「若死にとか?でも、当主にはなっているんですよね?」
H「理由とは、信縄と父・信昌との抗争です。そして、信昌の死去から信縄の死去までは僅か2年でした。」
Y「家督も僅か2年だったので偏諱(へんき)を与えている期間が無かったという事ですか?」
H「まあ、名目上の家督は十年以上(16年)でしたけれども。信昌が家督を譲った後になって、信縄の弟の信恵(のぶしげ)が可愛い余りに家督を継がせたいという気持ちになってしまったのが原因です。これで武田家は、そして甲斐の国は真っ二つになりました。」
D「それって、信虎が晴信(信玄)を廃嫡して弟の信繁に家督を譲ろうとしたのと似ていますね~」
H「何の因縁か、弟の名前の読みが『のぶしげ』というのも同じなんですよね。でも、信玄公の関与する方はいずれも、甲斐国が分裂するまでに至らなかったのは幸いでした。」
Y「『さすがは信玄公』というべきでしょうか。しかし信昌って人も、せっかく跡部を滅ぼして甲斐の騒乱状態を収拾したと思ったら、今度は自分が火種をつくってしまうとは。」
H「信玄公の息子義信,そして信玄,父親の信虎,その父親の信縄,さらに信昌・・・と、連続5代に亘って親子騒乱に関与するとは・・・戦国時代とはいえ、武田家恐るべし、ですね。
しかも、その父『信守』は跡部にないがしろにされた上に僅かの在位で病死、その父『信重』は一族騒乱の上家臣に暗殺と碌な事がありません。
その父(信満)は自害したのですが、それが武田勝頼が自害したのと同じ天目山という因縁です。・・・」
その時、横のボックス席から声が。
おばさん「あのー。メモが取れないんで、もう一度言ってもらえませんか。」
なんと!手にされているのは、武田家の系図の書かれた小冊子でした。
「そっちのボックスに行ってよろしいです?」とその方。それからしばらくは、ボックス座席内で他の3人が私の話を聞くという図式に。
おばさん「それでは次の駅で降ります。有り難うございました。ところでそちらの方、有名な学者さんですか?」
H「え?私ですか?確かに学者なのですが、専門分野も歴史とは全然違いますし、有名でもありません。」
おばさん「でも、せっかくですからこの本にサインを下さい!」
H「いえ・・・私の書いた本ではありませんので。」
そして、列車は駅に到着。挨拶をしてその方は降りていかれた。
Y「本当、Dさんの言う通り。まさか武田家の本を持ち歩いて居る様なマニア(?)な方と遭遇するとは。信玄『公』を『呼び捨て』にしなくて良かったー!」
D「ね、僕の言った通りでしょ~」
平成になっても、やはりそこは「信玄公の国」でした。
<Y女史と次にした話題は、すでに「あすか・よしの談義6話」(4/4の記事)
に掲載ずみです。>