思いも寄らぬ方向へ流れていくと、思いを超えた軽やかな五感センサーのスイッチがONした、ここ数日。
自分のための覚書。
金剛峯寺は翌日の大きな法要のため入れず。
こんなこと、初めて!
色鮮やかな幕がかかってました。
(ここまではいつもの流れの範囲内、いわゆる想定内)
ところが、満月を超えて、
それも明日香へ。
聖徳太子誕生の地と言われる橘寺。
見えるものの象徴の桜と見えないものの象徴の橘。
心の持ち方を表した飛鳥時代のもの。
でも、そういう善悪、正邪とジャッジするのは単に自分の物差しがそうなだけで、本質は善悪も正邪も1つ、単に裏表なだけだよねって、優しくわかりやすく教えてくれているようにも感じました。
飛鳥時代の先人が私たちに残してくれたのは、立派な建築物や仏像だけではないのですね。
ありがたい遺産です。
そして、目指すは法隆寺。
修学旅行以来!40年数年ぶりです。
ずっと行きたかったところだから行き先としてはとっても嬉しい!
重岡社長から授けられたミッションは、「法隆寺の弥勒菩薩様に会ってくるように」
お隣の中宮寺の半跏思惟像は憧れの仏像の1つですが、今回は法隆寺の弥勒菩薩さまを指名されました^_^;
なので、寄り道はせずまっすぐに法隆寺へ。
空海さま、聖徳太子のお二人に導かれてたどり着いた弥勒菩薩像の前で佇むこと、しばし。
そこで、私が「思う」のではなく「感じた」こと。
それが言葉にできないのだけれど、今の私への最大のいただきものです。
この「感じ」。
「思い」は「重い」で重力を持ちます。
「感じ」は「カ」と言う音がかるくて乾いてる!音が明るい!
なので、「軽い」に通じてる。
だから、そこで「思った」ことももちろんあるのだけど、それは私ごととして着地するときに「思う」のであって、いただいたものは100パーセント「感じたもの」。
軽さ明るさをもって感じ取れたこの「いただきもの」を大切にしたいなと思います。
そして、心ふるふる震わせたまま、夢殿へ。
6角形である意味が今はすこーしわかる気がしました。