私は元々本音で話をする人が合ってるんですよ。
○○さんの本見てみてとか言われて読んで見るんだけど、その人の本音というか背景が見えると萎えちゃう。
本音トークで語る石井さん
もうブログを閉鎖してますが心のブレーキの外し方でも有名な大好きな方です。
再度出します。
仲良しクラブより
明るい雰囲気の中で和気藹々と楽しみながらも、それでも仲良しクラブに堕さない。
このバランスは、言葉の上で考えるよりもはるかに難しいことだ。
それはつまり、自我が望む成長と現状維持メカニズムとの戦いだ。
仲良しクラブは世間にいくらでもある。楽しさ度合いや、お互いを褒めあうエクスタシーのレベルなら、他のところのほうがはるかに満足度は高いはずだ。
それなのに沢雉会に残ってくれる人たちがいる。
それは、僕が格闘してつくろうと思っているバランスを、「明るい雰囲気の中で和気藹々と楽しみながらも、それでも仲良しクラブに堕さない」という場所を、その人たち自身が求めてるからに違いない。
「石井道場」「PM講座」は仲良しクラブに堕してしまった。それを反省して、続くフォレスト出版主催の「沢雉会」ではCD講座をベースにして距離を置いた。結果、むしろみんなが個人主義に走りすぎた。
そういう失敗(もちろん僕自身の失敗ですよ)を踏まえて、新生沢雉会では、なんとかそのバランスをとろうと思ってやっている。
僕が自分でやっている会だから、誰のせいにもできない。
「ああ、ちょっとできたかな」と喜ぶと、その直後には、「やっぱり全然ダメか」と思ってしまうことが起こる。
それは、諦めずに努力を続けている証拠だと、僕は思っている。動いているから揺れるのだ。成功にせよ失敗にせよ、そこでとまってしまったら、それは死んでいる。
人間関係がうまくいかなくて、陰では「あの人、ほんとうに空気が読めなくて……」とみんなが口をそろえて言う。そういう人が僕の周りに何人かいる。誰の周りにもいるだろう。
でも、表面的には褒めたり褒めあったりしているのが、大人の社会だ。
そういう社交辞令も必要だとは思うけれど、そういう言葉は、自分を変えようとがんばっている人にとっては、ひとときの「休憩」みたいなものであるべきだ。
これは実際には何を言われていることになるか?
あなたは悪くない。でも、現実はうまくいっていない。ということは、悪いのは他人や環境だ
ということになるじゃないか。論理的にそれしか残らないじゃないか。
そうすると、「あの人がこんなヒドイことを言った」「この人は私の気持ちを分かってくれない」と、いつも他人のせいにするしかない。当然、状況はどんどん悪化するし、自分がどんどん苦しくなっていく。
周りの人は「あの人は言っても理解できないから、放っておけばいいんですよ」と諦めている。諦めているから、無責任な優しい言葉もいえる。
去っていった人はいっぱいいたし、それでいい。
受け入れてくれる仲良しクラブは、いくらでもあるから。ひととき癒してくれる場所なら、いくらでもあるから。
でも、「仲良しクラブじゃダメだ。自分を変えたい」「みんながオレを諦めても、オレ自身は自分を諦めたくない」という人の居場所が、いったいどれだけあるだろう。
家族でさえ、家族を諦めてしまっている世の中で。友達同士でさえ、「言うだけこっちがソンだ」と、社交辞令で接しあっている世の中で。
でも、この間も、ある人から「石井さんは、言い方がキツイんですよ」と言われた。文字通り、指をさされて言われた。
キツイんじゃなくて、やわらかい言葉で言ってもなかなか本人が気づかないから、結果としてキツイ言葉になってしまった、ということなんだ。気づいてくれるまでだんだんボリュームを上げていったというだけのことだ。人からよくキツイことを言われる人というのは、嫌われているからなのではなくて、気づくのが遅いからなんだ。
理解してくれている人だと思っていたので、指をさされて、僕もちょっと心が折れかけた。
優しい言葉でお茶を濁すような「大人」になって、僕も肩の荷を降ろそうか……なんて、たまたま感じていたときだったから。
でも、ついてくる人たちなら、やっぱり、僕はその人のことを諦めまい。決して無責任な優しさなどに逃げまい。なぜなら、その人自身が、そんな僕を求めているからこそ、僕のところに来てくれているからだ。
でも、その人が自分を超えたときには、そのときにはじめて抱きしめて、いままで誰からも言われたことのないほどの優しい言葉を僕はかけてあげよう。
しんどいが、理想を追いかけよう。
という内容
石井さんが書いてるここの文章
家族でさえ、家族を諦めてしまっている世の中で。友達同士でさえ、「言うだけこっちがソンだ」と、社交辞令で接しあっている世の中で。
本音で話せる相手は本物。
自分が心を開いて相手に関わって相手が心を閉ざしたままだと寂しいけれど、自分が彼に、または友人に本音で関わることを誇りに思う。
私が体験し続けているツインソウルとの関わりで見てみると
自分が本音で関わることを誇りに思う。
自分の心に灯された一本の本物の愛はほかのロウソクに炎が灯るように連鎖する。
本心本物の愛は必ず伝わる。
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