私にとって詩を描くことは祈ることと同じ。それを私は希望と呼ぶ。

私にとって詩を描くことは祈ることと同じ。それを私は希望と呼ぶ。

それは闇の中に見出した光
苦しみに絶望し 痛みに涙して
その零れた雫が奏で 咲いた花のような光
それは絶望に対する楔 そして世界への賛歌
言葉は連なり詩となり 詩は列なれば物語となる

過去作品の掲載 https://goldenslumber02.wixsite.com/mysite

発売中
「返答詩集 余韻」 http://poempiece.com/books/510
「始まりの場所 終わりの場所」 http://poempiece.com/books/510




詩集
「答えは自分が知っている」


自分の人生は自分で背負うもの

手を繋いで一緒に行けるのは
答えを出す場所までだから

不安になって
どうしていいのか分からないことも
きっとたくさん出てくる

だから出会える
今は知らなくても
歩むべき未来に


返答詩集
    「誰かのための虚しさ――その矛盾」


圧倒的な闇夜のように訪れる
この虚しさはなんだろう

本心は隠せない
涙が散るような朧月

揺らめいては 淡く消えてしまいそうな
あの雲のように


日記詩集
    「ここにいるということ」


世界にどれだけの人がいても
自分は独りだった

世界を見て回って 出逢いと別れを繰り返して
心を確かめながら 少しずつ自分を知っていく

知れば知るほど
大切にしたいと思うようになった

誰も否定することなく
自分の心を蔑ろにすることなく

どちらも受け止めながら
今日を生きていたい

そういう自分でありたい
願いだけを明日に持って行こう

自分を感じて
想いに触れて

心の声に
耳を澄ませるように
 

 

 

 

――――――

おまけトーク

自分の生き方とかライフスタイルの話をすると、すごいとか、尊敬するとか、言って貰うのは大変ありがたいんだけど、ここで考えたのは、果たして「私がすごいのか」問題。振り返れば大変なことはたくさんあったし、すねたりすれたり、荒れたり腐ったりする、やみ落ちしても全然おかしくなかった。でも、私は色んな出会いとかのめぐりあわせの中で、「すごい」と言ってもらえる生活をしている。というだけで。運がよかった、というのもあると思う。別にポジショントークをしたいわけじゃない。これは今まで出会ってきた全ての人のおかげなんだよ、て話
一人ではなにもできない。だから、みんな同じなんだよ。てこと。

詩集
「歩み」

どうすれば大切にできるだろう

受け取った言の葉を
両手に包んで差し出せたら

伝わるのだろうか



返答詩集
「光が照らす雨夜の月」


 一

夜空に消える流れ星のような

胸に抱き続けて
叶わない夜空に零した光

孤独と夜を愛した星の空

朝陽の眩しさに目を背けて

 二

夜空の星が照らしてくれる道を――信じることができたから
朝陽の光に導かれるように――歩んでいた

世界という洪水に飲みこまれて光が見えなくなって
行き交う鳥たちの鳴き声に分からなくなって
右を見た途端に風が旗を左に凪ぐような場所で

耳を貸さなくなっていた
聞こえなくなってしまった

押し寄せる日常に
落とした宝石が
幾億の砂粒のような出来事に
埋もれていくように……

 三

空を覆っていた雲の隙間から
光が射し込むように
道が拓けることがあるかもしれない

忘れてしまっても
報われなかったとしても
奪われることはない

失ったものが蘇ることはなくても
欠片を取り戻すことはできる

この道を歩むという決意が
残した想いだけは

歩み続けたからこそ
生きていたからこそ

出逢うための
道なのだから


日記詩集
 「石碑」


過去になくしたものはどこにあっただろうか

山を越えて 谷を彷徨い 森に倒れて 海に沈んで
太陽に溺れて 砂漠の幻影に迷い 辿り着いた草原
緑の大地 空の海 棚引く雲と淡い月

オーロラも 流れ星も 咲き乱れる花も
彼方に躍動する山脈も 全ては地平に還っていった

世界はすっかり変わってしまった

立ち尽くして 寝転んで 空に手を翳す
心に言い聞かせようとしても

忘れることなんてできなくて
願わずにはいられなくて
何も考えず ただ呼吸して 生きて

蝶がひらひらと舞い
雲が流れて姿形を変えて
風は唄のようだった

虚しくても 悲しくても
寂しくても 諦めようとしても

見えない星を探して
歩み続けている

伸ばした手が明日を描き
歩んだ道が今を形作ってきた

指先は星に触れそうなのに
空はあんなにも遠い

 

 

 

――――――

おまけトーク

お金が返ってこない、という現象は、物質的ではないところでも起こっているのかもしれない。交換(循環)できない人と無理に繋ぎとめる(一方的な)関わり方をしていたのだとしたら、そうまでしなくてはいけない背景には何があるのだろう。高校生の頃から優劣をつけたくなくて、関わる全ての人を平等に接するみたいなことを10年くらいしていた。今もそれっぽいところはある。でも、いい意味ではみんな自分の好きなように生きているわけで。私も好きにしたらいいのに、と思う。断っていいし、嫌ならいやって言っていいし、でも、心配なら、言ってもいいし、受け入れるかと拒絶するかの二択ではなくて、選択肢ってあるんじゃないかな。人間関係は趣味であって義務ではない。私は人間関係を義務にしていた。循環しない関係に身を置くことは自己犠牲なのだ、と思うし、自分を大切にする、ということは、関わる人や関わり方は選びなさいね、ということだし。選んでいいんだ、というのを、改めて自分に許可するところに立ち返る必要があるのかも。

詩集
「君の傍に」

歩いていくほどに遠ざかって
遙かな場所に置き去りになっていて

見えなくなってしまった

大事なものだから
胸に抱いて いつも思い出していた

想いは色褪せていく
いつのまにか薄れていく

遠い記憶
彼方に消えたはずの流れ星

すくい取れない宝石
取り戻せない涙

思い出の隙間を辿るように
探すように手を伸べて

奥底の自分自身を見つけたら
何を伝えられるだろう

零した願いに
今から寄り添うことはできるだろうか

言の葉の欠片を拾い集めるように
記憶の断片を繋ぎ合わせるように

無くしたものにもう一度出会うことはできるだろうか

返答詩集
「世界を初めて見た時」


初めてこの世界を見た時
瞳には何が映ったのだろう

世界は輝いて見えただろうか
眩しくて見えなかっただろうか

手を伸ばしても
届かなくて

目を細めて 泣いて 笑って
奇跡みたいな美しさがあるみたいに

時を重ねれば 眩い光にも 見慣れていく
時が過ぎれば 輝きさえも 色褪せていく

日々の煌めきは平凡な光でしかなくて
つまらなくて 虚しいだけの毎日

日常を生きるだけで息苦しくなっていく
重みに押し潰されそうになる

どうしようもないくらい 生きることの全ては この背中に託されている
言い訳なんてしても 残酷なまでに 現実を突きつけられている

後悔して 泣いて それでも生きて
笑って 眠って 祈ることくらいしかできなくて

手に入らないなら
無くさないでいられる

ずっと彼方に輝いて

思い出せるだろうか
奇跡のような日々の彼方を


日記詩集
「故郷を探して―夢の彼方に―」


世界の果てに夢を見たから
旅を始めた

届かない唄を聴いて
見えない景色を見て

集めた花束 大地の欠片 星の塵 虹の墜ちた涙
夢の潰えた雷の瞬き 信じた月が墜ちた闇 再び昇る太陽の光
全てを湛える空の色彩

拾い集めたものは散っていってしまった
この世界には自分の居場所はないのだろうか

出会えるだろうか もう出会えないかもしれない
心はいつも揺れている

この旅路は孤独に終わるかもしれない
歩む意志も揺らいでいる

もう旅をやめてしまおうか

最初から信じなければよかったのかもしれない
目を閉じる

夢のようなものだから

今まで抱えてきたものを
全て捨てようとした

夢の彼方から
風のような出会いが訪れる

雲に空いた穴から差し込む光のように

舞い散る言の葉のように 突然微笑む虹のように
緩やかに満ち欠けして出会う満月のように

 

 

 

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おまけトーク

日々口にする「しんどい」はこの社会に適応するのがしんどい、ということだったと気づいたし、私はこの社会から「役に立たなければいけない」というメッセージを強烈に受け取っていたのかもしれない、ということにも気づいたし、毎日仕事をする弊害は、このメッセージを無意識的に浴び続けるということ。だから、休みって、大事だったのだ、と気づく。その社会的圧力から自由になること。自分がこの見えざる力を受け取らない、ということを選ぶことの両方が、きっと大切になるのだろう。



    「時々」


時々 生きていて悲しくなる
誰かのために生きているということが
たまらなく悲しくなることがある

虚しくなることがある

誰かのためで手一杯
自分のことは後回し

いつの間にかぼろぼろに疲れている
一生大事にできないのかもしれない

――それでも
少しずつ拾い集めるために
歩み出す

こんな自分でも 大事にできるなら
この世界に 大切にできるものがあるなら

希望と呼べるかもしれないのだから

蝋燭の火のような
鉢植えの花のような
儚い雪の結晶のような

日々揺れる心は 今にも折れてしまいそうで
砕けてしまいそうなものかもしれなくて

それでも
この心を信じて
――私は生きている
 

 

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おまけトーク

人と会い、話すことは、時間と空間を超えるような奇跡体験のような気がする。お茶もカラオケも楽しかったし、人間関係で求めていたものだったし、それは一つのゴールというか、着地点でもあったわけで。それが一つ叶いつつある、というのは人間関係の大きな前進なわけで。手ごたえを感じた日だった。
誰にでも会えるわけでもないし、その点はコントロールできるものでもない。私は自分の人生をコントロールできている時に幸せを感じると前に言ったけれど、誰かとの接点が生まれる時に、その「揺らぎ」を楽しむ、ということに楽しみ方がシフトするのかも。「人間関係とは変化を楽しむ」ということなのかも。人と関わるってセッションみたい。一人の時間に戻ったら、自分を鳴らし続ける。そこに集中する、みたいな。

「意味」

生きているだけで
意味があるのなら

何をしなくても 何をしても
命の価値が 変わることはなくて

一つの命としてここにいて
一つの世界がここにあって

世界のための命ではなくても
自分のための世界でなくても

絶対に 自分がいてこその
この世界だから

 

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おまけトーク

名付けて交通違反記念日。(←いやいや、全然記念ではない)
自分の中の自分が許せないとか、人のオーダーには応えなければ、という感覚が強く湧き出てきて、自分の中に強い感情が眠っていたのか、とびびる。誰かの役に立たない自分は価値がない、と強烈な刷りこみがあり、確かに子供のころからその価値観で生きていたのかも。それって、しんどくないかな、と思ったら、未だに口癖のように言う「しんどい」という言葉の真意はそこだったのか。と思う。365日24時間誰かの役に立たなければいけない、という思い込みが、自分を追い込んでいたし、それがしんどかったし、はっと今回の違反で、我に返ったのだと思う。(←おかえり、自分)別名自分帰宅記念日。


    「奇跡」


次の瞬間には奇跡が起こるかもしれない

それくらいは信じて

生きていい
 

 

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おまけトーク

今度は交通違反。なんてこった。
でも、思い返してみれば、「やらなけらばいけない」とか「応えなければいけない」とかで優先順位がぐちゃぐちゃになるし、それくらい、超自我と言えばそれまでだが、自分の中の強い強制力が働いていたことにも気づいた。だから、今回止めてもらってよかったと思うし、まず、そういう忙しさの中で生きることが、よくない。もう一回、ちゃんと考えて、何が大事なのか、というのを見つめる必要があるし、そうまでして応えなければいけないのか、という気持ちと私自身が距離を置く必要がある。まずはそこに気づけたことを良しとして、これからまた気持ちを新たにして、やっていこう。

「想いの落し物」


手を下ろした時 足を止めた時
そっと渡してくれる 誰かがいたりする

苦しくて辛かったから
落としてしまったのかもしれない

背負いすぎて重かったから
零してしまったかのかもしれない

本当に大事なものを思い出したくて
諦めきれずに探していたのかもしれない


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おまけトーク
一人反省会。マックを食べたのだけれど、あまりおいしいと思わず、バーガー二つはきつい、というのと、ポテトのエムサイズは多い、というのと。ではどうすればよかったのか。そもそもマックでなくてよかったのか。その選択が、あまり自分のためになってる(気分が良いとか、テンションが上がるとか)ような感じがしないのが一番の問題なわけで。衝動的に動いちゃったんだろうな、と思う。まず、衝動性は自分を幸せにはしないということ。買った時の一時の満足だけということ。解放感がほしいとか、そういうのだと思うから、我慢した自分への受容とかそういうコミュニケーション足りてないな、みたいな、そういうのもあるかもしれないし。ようは、衝動で動きたい時、本質はそこじゃないってこと。
マックを買ったのに後悔しているのではなく、自分のためにベストを選んであげなかったことに、落ち込む、、みたいな、ごめん自分。

「無くした物を探して」


通り過ぎた想い
見ないようにしていたこと

過去に忘れても
今に会いに来てくれるもの

探しに行くのなら
心の底と現実の果てへと辿るように

遠い彼方のことだから思い出せないかもしれない
当時は出逢いたくて必死だったかもしれない

 

ーーーーー

おまけトーク

ピアノ教室に行って、ダンスを習って、先生からは電子ピアノをすぐにでも買った方がいいのではないか、と提案はしてもらったのだけれど、私が踏ん切りがつかず。そうそう。認識のずれがあって、私は「音学」したいんだ、ということ。歌って、踊って、演奏して、みたいなトータル的に深めていきたい、みたいなのがあって、急いでどうにかする必然がないことに気づいた。でも、ペダルが必要な段階(たぶん3年後とか笑)まできたら、買っていいのかな、とか思ったり。

 

 


    「生きることの矛盾」


生きていくことが簡単だとは思わない
とても面倒で 大変で
苦しい日々の連続かもしれない

それでも生きていくことで
今までのことが関係ないくらい簡単に
幸せになることもある
 

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おまけトーク

家の近くのすぐ公園が桜のベストスポットだと気づいた。(のに、わざわざ遠くの公園まで夜桜を見に行ったという、灯台下暗し案件)ここに公園があること、桜の木があること。全部感謝。自然発生的にこの景色は生まれたわけではないということ。こうして触れて感動するというのは、誰かの残したものが後世にいい影響を与えるということ。こういう仕事っていいなって思った。感謝。
海外に住んでる人で桜がないとか聞いたら、この桜が見れない四季なんて、絶対に嫌だと思い、永遠に日本で良いかもと思う。


    「生きることは川のように」


人生は運命のように
流れゆくもの

未来へと誘(いざな)い
止めることは叶わない

求めることをやめて
委ねられたなら

生きることは川のように
流れゆくもの

 

 

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おまけトーク

私は自分の人生を自らの手でコントロールできていると感じている時に、一番の充足を感じるのだと悟った。
はっきりと「自分の幸せの形」が分かった瞬間だった。
だから生きづらかったんだ。全部わかった。
やっぱりこれでいいんだ。これまでも。これからも。