赤と黒の、そのすっぽり手に入る大きさと、皮のかんしょくがとってもいいと思いました。予定を書き込まないと忘れるような予定のないせいかつに恵まれてからもうずいぶんと時間が流れました。このままのんびりがいいなと本心からおもいます。たぬきさんは未来指向型ではなく過去回想型なのだそうです。そのせいでしょうか。てちょうは、なんというか、ときどき無理のない範囲で、時間のことを思い出させてくれるたいせつなものの一つなのでしょう。ほんらいの機能性をいかさないまま、でもそばにあってくれるととても安心。そんなものなのかもしれません。

 

センとオブうーまんの、フェラーリをぶっ飛ばすシーン(乱暴なことばを使ってごめんなさいm--m),それから、ホテルのフロアーでダンスを踊るシーン、作品の中で流れるやさしいけれどmessageがとてもしっかりしている音楽だけでなく、ほかにも、こころのなかのちょっとよどんだ部分を、やさしく無理のない範囲で、なぐさめてくれるそんなシーンがとても胸にしみます。美味しすぎるフルコースは、そうそういつもあってもいいというのものでもない...というのみたいに、いつもいつでもBGM代わりに気軽に流すというわけにもいかないのが、けってんでしょうか。

 

ずっとずっとむかしのあるところでのことです。とあるまちの街角で。これからもうすぐ出る最終のフライトで今週の勉強を終えるお友達の足を遅らせ、あと少しのところでmissingにしてしまいました。さいわい、その日のうちに故郷まで戻る手段はのこっていました。それにしてもです。ショックでした。手帳のない暮らしに慣れた森のかめさんに連絡をしたばっかりに、予定が大きく狂ってしまった。くるわせてしまった。おかねのこともさることながら、それいじょうに。電車の駅から猛ダッシュしたのにin veinだったとき。ごめんなさいではかえって傷つけてしまいそうな。そんなかなしみといたみがありました。

 

もっとも森のかめさんは。そのひとへのこころばかりのなにかを探せる時間がもてることを。これももしかしたら、つづきのはじまり?そんなことをこっそりきいてみたくなったりもして。たいせつなお友達への贈り物をみつけたとき。さがせるとき。そんな時間がいちばん、ホッとできるうれしい時間。なのかもしれません。ともあれ。ともあれ。それでもほんの少しだけ元気になれてるわたしのことをとてもよろこんでくれたお友達の、あったかい気持ちにこころがとってもあったかくなりました。なにげないひとことに救われる。そんなことがときどきあります。