「他の事はどうでもよいとおもいます。」大学の先輩(といっても、学部も異なり、わたしよりも56年と2か月も早くお生まれの方を友人というのはいささか無礼なのかもしれませんが)からの、便りにあったその一文が、胸に響きました。その方は、満州に出征中にお母上を亡くされ、その一か月後に、南方への異動命令が出、海上で前を航行中の味方の船が魚雷で撃墜された折、もう母もいないことだしどうにでもなれとおもったこと、66年前のことでもそのおりの深い悲しみはいまもずっと忘れられないこと、を便りの中で語ってくださいました。生前父が、わたしと母がわぁ~っと言い合いをするたびに、聞くに堪えないというような苦々しい表情をしていたのを思い出しました。それでも、言い合いがなくなることはありませんが、でも、こうやって、けんかしながらでもそばにいること、いまできる最大で唯一のことだということは、自分でもよくわかっているんです。そして、その方の便りの中で、少しでも長く母上のそばに付き添ってあげてください、との言葉に胸が沁みまし
た。

一時は洗濯機に詰め込めるだけ詰め込んで、次から次と着替えて私を困らせていましたが、少しこころが落ち着いたのか、逆にじっとしていられないのが増えたのか、こんどは、朝からずっと自分で洗濯機を回し続けています。途中で蓋を開けてばかりするので、洗濯機が止まり、そのたびにまた最初からやったりしているみたいで…。あんまり手を出すとわぁ~と、叫んでかんしゃく起こすし、朝は少しでも心穏やかにいたいので、私は飛んでいく水道代に眼をつむり、ひたすらまだ起きてないふりで、こっそり本を読んだり、なるたけ起きていく時間をずらそうとしているわけです。台所まわりや冷蔵庫や、その洗濯機周り、洗面所は驚くほどのスピードでなんかいっぱい散らかっていくし、すぐにいじってなくしてしまうので、朝晩の薬をその日ごとに出すようにしているのだけれど、明日のがないといって騒ぎ出すこともあるし、今飲んだのを忘れたり、目の前にあるのにないと言ってみたり、この前は、またしても眼鏡がないと半日探して、結局トイレのオムツの中からでてくるし。たぶ
ん、わたしとしては、別にトイレの掃除が嫌なわけでもなく、薬の調整が嫌なわけでもなく、ビックリな勢いでそこらじゅうが散らかるのはちょっとげんなりだけど、ともあれ、作業や手助けが嫌なわけではちっともないのに。でも、なんだか、こちらも時には声を張り上げてないと芯の方の平静を保てない感じで、自然と大声だして発散している。たぶん、要するに、心配事のポイントとか、日常事の手際とか、横着さだとか、メトロノームのあれでないけど、つまり、そのリズムがことごとく違うので、自然と不協和音になってしまう。これはたぶん、仕方ないんですね。

それでも、今すぐかかりっきりというほど悪いわけでもなく、気晴らしに週に何回か働くほうがいいのかなとか(もっとも、条件に合うものがあるかどうかわかりませんが)、でも、こんなにストレス溜めてる状態で器用に外で笑顔なんて作れるだろうかとか、でも、じっとばかりしてるから余計にストレスなのかなとか、貯金を食いつぶすだけなのはやっぱり少し不安だなとか、でも、今しか傍に居られないのに中途半端に外に出ても余計焦るだけでないのかなとか、つまりは、わたしの中にもいろいろな葛藤があって、たぶんそのことでも少しイライラしてしまうのかもしれません。まぁ、こころの大半は焦っても仕方ないって、覚悟してはいるんですけどね。でも、ふとしたときに、もう少しなんとか動きを作れないものかっておもってしまったりして、どうにも覚悟のはらのすわりはいまいちなってなくて…。自分でもふがいない。

ひとは、なにかをしてもしなくても、過ぎてから、あのときあ~していたらとか、あ~しなければとか、おもうものです。それでも、そのときどきで、いちばんいいとおもったことをすればそれでいいのだと、わかっているのですけれど。このごろ、ふと、故郷の瀬戸内の島に帰りたいといいだす母をみてると、なんともいえない気分になったりもするし。けんかしてるときは、それはもうにくったらしくて仕方ないけど、だんだん記憶があいまいになって、自分でも混乱してるんだろうなぁっておもうと、なんだかいたたまれないような気もするし。ひとは、こころとからだの両方がバランスよく静かに衰えていけたら、あるいはもちろんその両方が90を過ぎても元気でいられたら、それがいちばんなのだけど。そうでない場合はまわりがたいへんで。すぐに治せるわけでなし、かといって衰えを一気に進めて落ち着いた状態にもっていけるわけでなし、たぶん、産みの苦しみ以上の苦しみがあるみたいで…。つきあうほうも、ほんとに大変で(お金や過ぎ行く時間のことをしばし忘れて、じっ
と見守る腹を決めるっていうのが、いちばんたいへんなことなのかもしれませんね)。

ひとはだれしも、たとえ少々の苦労や災難があったとしても、ほんとにこころから大好きと思える人と一緒にいられるのがいちばんいいもの。だけど、親子ばかりはそうそううまいわけにもいかず、こればかりは相性のいいわるいもめぐり合わせで、予め衰える転機がきまっているわけでもなく、互いに遠慮がないから、ぶつかるときはとことんぶつかるし、過ぎてしまえばきっと、必ずもっと穏やかに振り返られるものであろうのに、その最中はどうにもこうにも、静かに穏やかに~ってわけにいかなくて、ほとんどが闘いの時間。なんだか、ほんとになかなかうまくはいかないものです。