(ツイッターしたとこからメモ的に)


自分の思ってる「一般的には○○」「世間では△△」に縛られて
困ってる人が多い。

でも、たとえば、お互いにその思い込み同士を出し合うような機会があれば、
そんなの何の根拠もない、単なるローカルルールだったことがわかる。
お雑煮が違って夫婦喧嘩する、ってのがその具体例。

心地よさや幸せ感みたいなものは、人によって違う。
一人一人、からだが違う、シナプスの配線も違う、
育った環境も習慣も文化もみんな違うんだから、
違って当たり前。
同じ家庭で育った兄弟だって、兄ちゃんと弟で違うでしょ。


それを何か、正解の型でもあるかのように考えてると、
型に自分をはめこみたくなる。

しかし、たいがいの場合、その「正解」ってのは
それまでに自分が集めて来た外部情報の集積に過ぎなかったりするので
はめこみに完全勝利する人は、ほとんどいない。
(ついでに、よく聞いてみると、その「正解」自体が非常に曖昧で
 矛盾に満ちたものである確率が非常に高い。)


にも関わらず・・・・

はめこめてない自分を感じると不安になる。

こんなはずじゃないって言って、
理屈つけたり、解析したり、正当化したり、開き直ったり、し始める。
何か重大な問題が起きてるんじゃないかと思って、
自分は異常だと決めつける人だっている。

言い換えると、自分の感覚を信じないで、
思い込みの方を信仰してる状態。
自分カルトにはまりこんで、
教祖様に納得してもらおうとバタバタしてる状態。

もちろんそういう娯楽もあって良いのだけど、
たいがい、身近な人を巻き込むことになるんで、
あまり生産的ではないのだよな、と思う。

(例)
自分を異常(マチガッテル、ダメ、オカシイ、など)だと思い込んで
→こうでなくてはいけない!と強く抑圧したりコントロールしてると
→他人の言動にいちいち引っかかる。「普通」でないことに怒りを覚える。
矢印外向する場合は相手を責める、
  内向する場合は罪悪感を感じる、
  処理先が見つからない場合、第三者に難癖付けて八つ当たりする  など


そこで、そういうとこにはまってる方によくお話するのが、
法解釈の場でしばしば登場する「一般通常人」っていう概念。
わたし自身、大学1年のときにこの概念を知ったとき、
目からウロコが落ちた。


【「普通の人」なんてのは、実はこの世に存在しないけれど、
  もしそういう人がいたとしたら、こう考えるのではないか?】

と、いうのが「一般通常人」。


ニンゲン誰しも、なくて七癖。
完璧な人はいない以上、失敗も勘違いも、して当然。
だから現実にはそんな人有り得ないけどね、というのが大前提なのだわ。



つーまーりー


自分にとっての心地よい状態
自分が自然にしていられる状態
自然な自分が自然に振る舞う状態

それが「ふつう」だと思ってればいいってこと。


どっかで聞いて来たような
「ハーモニー」とか「バランス」とか
耳障りのいいコトバに振り回される必要もない、
ありのまま、あるがままの自分が
「普通の自分」だし、「自分の普通」。

意識することもなく呼吸をし、脈を打つのと同じように。
お腹すいたり、眠くなったりする、自分のままで。


だって、みんな違った「ふつう」を生きているんだから。



Love Yourself and Live Brilliantly!






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